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 日本史上、最も愛された悲劇の主人公といえば源義経(1159~1189)だろう。1180年に始まる治承・寿永の乱で平氏を滅ぼす大功をたてながら、兄・頼朝にうとまれ、頼りにしていた藤原泰衡(やすひら)にも裏切られて、奥州平泉の衣川館(ころもがわのたち)で自刃する。その義経が平泉では死なず、さらに北へ逃げ延びていたという説がある。義経北行伝説――。その真偽が知りたくなり12月上旬、旅に出た。

「周到な計略」

 最初に訪れたのは岩手県平泉町だ。中尊寺金色堂からほど近い、北上川を見下ろす高台に高館(たかだち)義経堂(ぎけいどう)はあった。

 平日ということもあり、訪問者は自分1人。身を切るような風が吹き抜けていった。

 衣川館の跡とされ、仙台藩第4代藩主の伊達綱村が1683年、義経を祭る小堂を建立した。お堂の横の絵馬掛けには願い事がいっぱい。義経は今も愛されているらしい。

 義経生存説を信じる人たちでつくる「義経夢の会」を主宰するノンフィクション作家の山崎純醒(じゅんせい)さん(63)によると、平泉に攻め寄せた鎌倉幕府軍に差し出された首は別人で、義経自身は、周到な計略のもと、まず太平洋岸に出てから北上し、津軽半島から北海道に渡ったという。

 義経の首は自害から数十日経っ…

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