拡大する写真・図版 五十嵐さんの養鯉場で昨年生まれた「変わりゴイ」。背中に黄色の線が入ったり、紺の模様があったり様々だ=新潟県長岡市滝谷町

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 新潟が生んだニシキゴイは、今や億の単位で取引されることもある。文字通り「泳ぐ宝石」の世界に約15年前、中越地震で変化が生じた。海を越えてバイヤーたちがやって来る養鯉(ようり)の里で、時代の流れに逆らい、独自の美を追う「コイ屋」がいる。

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 冬、ニシキゴイはハウスで育つ。長岡市滝谷町にある養鯉場の池で、インドへ出荷される6匹のコイが泳いでいた。金がかったオレンジ、沈む間際の夕日のような橙(だいだい)。黒と黄のごつごつした背、銀光りするウロコ。赤や白が目立つ、見慣れたニシキゴイとは様子が違う。

 「見たことないから、『ん?』って立ち止まって。お客さんも楽しそうに、『面白い』って言って買ってくれる」。海外客とのやり取りを、池の経営者、五十嵐俊将(としのぶ)さん(43)が教えてくれた。長岡市錦鯉(にしきごい)養殖組合の青年部長だ。

 ニシキゴイ発祥の地といわれる旧山古志村出身。養鯉は父が始めた。勉強が苦手で入試につまずき、親戚を頼って埼玉県の定時制高校に。卒業後、20歳で里帰りし、父を手伝い始めた。

 もともとコイは好き。「系統図」を、じっと眺める子どもだった。色、模様、ウロコの光沢……。養鯉場がそれぞれ理想の種をめざし、コイの持つ血筋を考え、掛け合わせる。そのコイ屋の伝統を脅かしたのが、中越地震だった。

 2004年10月23日、震度6強の揺れが山古志を襲い、停電で水質を保つ機械が止まった。全滅を避けるため、弱ったコイには麻酔をし、父と捨てた。その後の全村避難は約2年。千匹ほどいた2歳以上のコイの7割が死に、繁殖用の「親ゴイ」も失った。

 親ゴイなしに、コイは生産できない。大手業者から新たに買うしかない中小業者は、品評会で上位に入る「ブランドゴイ」の血筋をほしがった。上位になれば、1億円を超す高値がつくものもある。東アジアを中心に海外客が増え、分かりやすい尺度が求められる流れも重なった。

 「面白くない」と五十嵐さんはいらだった。狭い地域で近い種が増えれば、将来交配が難しくなり、絶滅につながる恐れもある。なにより横並びが嫌だった。父が体調を崩し、1人で養鯉をし始めた5年ほど前、伝統的な種を主力にしつつ独自のコイ作りに踏み出した。めざしたのは、誰も見たことがない、いわば「笑いを取れるコイ」だ。

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 掛け合わせだけでなく、エサの種類で色づきの変化を狙ったり、泳がせるメスとオスの種類を変えたり、まさに試行錯誤の作業。その過程で、無地で茶色い、皮膚やウロコがキラキラ光るコイが生まれた。「メタリック茶鯉(ちゃごい)」といって売ると、海外客が「よそで見たことがない」と買っていった。

 つるつるのドイツゴイをスタートに交配を重ね、背中だけ輝くコイが生まれると、海外客が「ダイヤモンドバック」と呼んで買っていった。黒いごつごつしたコイに「ゴジラ」と名付けると、これも喜ばれた。

 仲買業者にも評判が広がり、これまで25以上の国や地域に売れた。売るだけでなく、光や音で水槽を演出するアートアクアリウムにも出展した。

 コイの模様は、池での観賞を考えて背中に集まっている。それを変えれば、水槽でも楽しめるかもしれない。独自の「変わりゴイ」に挑むのは、従来の常識を越え、コイの可能性を広げるためでもある。

 「ニシキゴイを見たことがない人が面白いと思ってくれるような、入り口になるような楽しい魚を目指している」(杉山歩)