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 1992年夏の甲子園で起きた「松井の5敬遠」の当事者で、高知・明徳義塾高の投手だった河野和洋さん(45)が大学野球の監督となり、今春、初めてのシーズンに挑む。率いる帝京平成大は千葉県大学野球リーグ2部で、まずは1部昇格が目標。その先には、さらに大きな夢もある。

 千葉県市原市の帝京平成大学ちはら台キャンパスにあるグラウンド。30日朝、河野監督の声が響いた。「エラーしたら試合に出れへんぞ。カッコいいプレーはいらない。しっかり捕ろう!」。指揮官の呼びかけに、選手たちの顔も引き締まり、「はいっ!」と元気よく答える。

 「プレーに限らず基本は大事。あいさつも掃除も、道具の準備や片付けも。まずはそれを徹底させたい」と河野監督。甲子園経験者はほとんどいない。寮はなく、高校時代に寮生活を経験した部員もわずかだ。

 2月1日からは、静岡市の草薙球場を拠点に5日間のキャンプを行う。「グラウンド外の生活も共にすることで団体行動のルールを覚え、何か変わってくれれば」と期待を込める。有力校の多くが実施するキャンプも、同校では初めてだ。

 他にも、投球の回転数などの測定機器を導入し、目標設定や選手起用に活用するなど、新しいことを次々と試す。「感覚で教えてもだめな時代。数字で示しながら、全選手に等しくチャンスを与えるように導いていきたい」。2人のコーチらとともに「これから、僕はこの帝京平成大学の歴史をつくっていかなきゃいけない」と意気込む。

 第74回全国高校野球選手権の2回戦で、石川・星稜の4番で主将だった松井秀喜(元巨人、ヤンキースなど)を5打席連続敬遠した日から28年。「松井5敬遠の投手」として語られ続けたが、本来は野手で、専大では21本塁打を含む通算111安打と活躍。4年時は主将で、東都大学リーグの2部だったチームの1部昇格に貢献した。卒業後、ヤマハ、米独立リーグなどでプレーし、2016年に引退。19年2月、野球部の強化に力を注ぐ帝京平成大にコーチとして招かれ、昨年11月に監督に就いた。

 就任時、5敬遠を指示したかつての恩師、明徳義塾高の馬淵史郎監督(64)から「がんばれ」と激励の電話をもらったという。甲子園で受けた指示については「彼(松井)は本当にすごかったから、勝つにはあれしかなかった。勝ててよかった」と改めて思う。

 当時の恩師の年齢を過ぎて自身も監督となった今、「僕だったら、ようやらないですね。作戦にしても、最後までやり抜くのは大事だけど難しく、馬淵さんには度胸があった。僕が監督だったらどっかでひるんで、勝負して負けていたと思う」と語り、「監督としてはまだまだこれから勉強です」と繰り返した。

 帝京平成大は昨秋、千葉県大学リーグ2部で3位。監督1年目の目標は「2部で優勝し、入れ替え戦に勝って1部昇格」。そして、将来的には「1部で優勝して神宮の舞台に立ち、大学日本一に。プロ野球を目指せる選手も育てたい」。

 「松井5敬遠」の枕詞(まくらことば)は不名誉なこととは思わず、嫌ではない。「でも、もし日本一になったら『あのときの……』とはもう言われなくてもいいですよね。もう言わせないぞと。甘くないとは思いますけど、そんな日が来るのが夢ですね」。そう話し、ほほ笑んだ。(杉山圭子)

 こうの・かずひろ 1974年、高知県出身、明徳義塾高―専大。92年夏の甲子園での背番号は「8」。「1」だった投手のけがもあり、エースの役目を担った。専大では黒田博樹(元広島、ヤンキースなど)らと同期。卒業後、ヤマハと米独立リーグ3球団でプレー。その後、クラブチーム「千葉熱血MAKING」で選手兼監督として活躍した。2016年の引退後は指導者を目指したが、当時、海外のプロ経験者は学生野球資格回復制度の対象外で研修会に参加できなかった。ルール改正後の18年に参加がかない、19年2月に資格を回復して帝京平成大のコーチに。同11月に監督となった。

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