兵庫)1・17を描く 野間由紀子さん

聞き手・後藤遼太 アートカレッジ神戸・内田七海
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 阪神・淡路大震災から25年。当時は今のように、スマートフォンでいつでもどこでも簡単に写真や動画を記録し、大勢と共有できる時代ではなかった。震災を経験した人たちの記憶の中にしか残っていない光景は数多い。震災後生まれの画学生・内田七海さんは、震災翌日に次男を出産した野間由紀子さんに話を聞き、当時の情景を絵に再現した。震災の混乱下、写真を撮る余裕もなかったという野間さんはその絵をどんな思いで見たのだろうか。

 2009年1月17日午前5時46分の東遊園地は、ろうそくの灯であふれていました。「大勢が亡くなったのに、私はここにいていいのだろうか」。胸に抱き続けた思いを、このときもかみしめていました。

 ふと気づくと、初めて連れてきた次男が竹灯籠(どうろう)に手を合わせていました。ひざをついて1分近くも。何を祈っているのか聞けなかった。悪いような気がして。でもそのときなぜか、「ああ、あの日に生まれてくれた意味はあったんだ」と、初めて思えたんです。

     ◇

 1995年1月17日は次男の出産予定日。徳島から神戸市東灘区の実家に帰省中でした。ジェットコースターに乗ったような揺れに襲われ、隣で寝ていた3歳の長男をかばい、自分の大きなおなかをとっさに座卓の下に押し込みました。

 パジャマのまま近所の小学校に避難しました。「ここで生まれたらどうしよう」という恐怖で一杯。ガス漏れの恐れがあり、夕方には別の小学校の校庭に逃れました。お産の兆候があり「独りで産むしかない」と覚悟したとき、開業医だった父が車で現れました。閉じ込められていた自宅から脱出した後、近隣の小学校体育館で遺体の死亡確認を手伝っていたそうです。

 長男を産んだ病院に向かいました。まるで野戦病院のような状態。分娩(ぶんべん)室で陣痛に耐えている間も、余震で棚の医療器具が何度もガタガタ鳴りました。

 日付が変わって、産声が響いた時、涙があふれました。赤ちゃんを取りあげた若い看護師さんも一緒に泣いたのを思い出します。

 病院の窓からは神戸の町が一望できます。長男を産んだ時には、満開の桜とあいまって息をのむ景色だったふるさとが、暗闇の中に沈んでいました。緊急車両の回転灯だけが赤く浮かび上がっていました。

     ◇

 出産後、多くの人に助けられました。着の身着のまま家を出て着替えに困っていたら、同じ病院の見知らぬ女性が「娘がもう退院するから」と下着をくれました。

 数日後、次男が低体温で大阪の病院に転院が必要になりました。国道43号は大渋滞。救急車は「新生児を搬送しています。ご協力ください」と連呼して反対車線を飛ばしました。救急隊員の方も家族がいて大変だろうに……と手を合わせる思いでした。多くの車両が必死に道を開けてくれる様子が窓から見えました。

 人々に助けられた命だということを忘れず、そして成長したら人を助けてほしい。そんな思いを込めて「啓佑(けいすけ)」と名付けました。

 14年後の啓佑が、あの時何を祈っていたのか。この取材を機に聞いてみたんです。「たくさんの人が亡くなったことを実感して、気づいたら手を合わせていた」と教えてくれました。

 混乱のさなか、啓佑が生まれた日の写真は1枚もありません。今みたいにスマホでパシャリと撮れる時代でもありませんでした。だから、あの日を絵で再現してもらえてうれしい。これからは、この絵を写真代わりに大切にしますね。

 あっ、啓佑ですか? いま、医師をめざして大学の医学部で学んでいますよ。(聞き手・後藤遼太)

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 〈のま・ゆきこ〉 1964年、神戸市生まれ。結婚を機に徳島市に移り住む。震災翌日に次男を出産。97年には三男が生まれる。現在も徳島市で薬剤師として働いている。

情景 自分なりに解釈 作画・内田七海さん

 神戸市で生まれ育ったとはいえ、25年前の地震は、遠い出来事です。小・中学校で教わった時も正直、現実感はわきませんでした。作画を引き受けたのは、純粋な好奇心からです。

 余震におびえながら出産した野間さんの話を聞きながら、イメージがどんどんわきました。産声を聞いて涙を流した分娩(ぶんべん)室、病院から見た真っ暗な神戸の夜景、被災者の助け合い。一つひとつのシーンすべてを描きたいと思いました。

 そのすべての場面をつないでくれたのが、野間さんの心に焼きついていたという、竹灯籠(どうろう)に手を合わせる中2の息子さんの横顔です。自分が生まれた日の前後に何千人も亡くなったことを想像したら、私は何を感じるだろう。そんなことを考えながら描きました。

 野間さんは、お子さんを産んだ直後の心情を「不安だった」と話していました。でも、やっぱり赤ちゃんを見守るまなざしは優しかったはず。自分なりにそう解釈して、出産直後のシーンを描きました。

 震災の渦中でもあり、その日の写真は残っていないそうです。「内田さんの絵を見て、『写真撮ってたらこんなんやったかな』と思ったわ」と、野間さんから言われました。「寂しかった心の隙間を埋めてもらった」とも。うれしかったです。自分が描いた絵にそんな力があるなんて、これまで思ってもみなかった。(アートカレッジ神戸・内田七海)

     ◇

 〈うちだ・ななみ〉 2001年、神戸市生まれ。専門学校アートカレッジ神戸(神戸市)高等課程3年。物心ついたときから絵を描き始める。女の子の絵を描くのが得意で、将来の夢はイラストレーター。阪神・淡路大震災に関しては学校で話を聞いたり、映像を見たりしたことがある。

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