【動画】阪神・淡路大震災で映像を撮り続けた神戸市職員の松崎太亮さん。震災の傷痕は今…現場を歩いた=西田堅一、西村悠輔撮影(ナレーション:高橋大作)
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 「なんちゅうことや……」。阪神・淡路大震災で炎の海となった街で、神戸市広報課職員だった松崎太亮(たいすけ)さん(60)=現・企画調整局ICT連携担当部長=は声を震わせた。被災直後から松崎さんがビデオカメラを持って神戸市内をまわり、被害状況を記録した。スマートフォンもない時代に撮られた、この貴重な映像は震災資料として残されている。定年を今春に控え、松崎さんは改めて「震災を知らない人に見てほしい」と願う。

8ミリビデオ片手に自転車で

拡大する写真・図版地震で被害を受けた街を撮影する松崎太亮さん(1995年1月18日、神戸市須磨区、本人提供)

 すさまじい振動と轟音(ごうおん)。1995年1月17日午前5時46分。神戸市須磨区のマンションの一室で松崎さんは跳び起きた。停電で部屋は真っ暗。ラジオから伝わる情報はまだ断片的で全体の被害状況はつかめない。「外で何が起きているのか」

 現在は市企画調整局ICT連携担当部長の松崎さんは、当時35歳。市の広報番組の制作を担当していた。自宅に持ち帰っていた8ミリビデオカメラを手に取り、自転車で外に飛び出した。

 午前8時過ぎ。近所の山の上から、東の市街地にカメラを向けた。遠方にオレンジ色の炎が見え、黒煙が空に舞い上がっている。

 上司の広報課長に仕事用の携帯電話で連絡すると、「たくさん撮れ」と背中を押された。「今神戸で何が起きているのか、とにかく記録しよう」と心に決めた。

生まれ育った長田が…冷静さ失う

拡大する写真・図版震災当時に撮影された写真と同じ構図で撮影。中央奥の建物は残っていた=2019年12月4日、神戸市須磨区、柴田悠貴撮影

 自宅から約4キロ離れた長田区にたどり着いた。西代通3丁目の歩道橋を駆け上ると、目に入った光景に動転した。

 「なんちゅうことやこれ! 須磨が、長田がむちゃくちゃになっとる。なんちゅうことや、ほんま……」

 そこら中で燃え上がる炎、銭湯の煙突は倒れている。長田区は松崎さんが生まれ育った街で、友人たちの家もある。記録映像として冷静な実況を意識していたが、思わず叫んだ。

 神戸市役所で昼、撮影状況を報告し、バッテリーとテープを交換した。さらに東へ進む。

 午後2時過ぎ、灘区篠原南町の住宅街。炎がくすぶるなか、倒壊した家屋の下で、救出作業があちこちで続く。崩れたがれきの上を歩いていると、昔視聴したある映像が頭をよぎった。空襲後の神戸を撮った米国の記録映像だ。沈んだ声でこう実況した。

「災害は突然やってきました」

拡大する写真・図版「戦争を知らない自分が、こんな形で神戸のがれきの街を歩くとは考えてもみませんでした」。神戸市灘区の現場で松崎太亮さんはそうリポートした=松崎さん撮影の映像から

 「戦争を知らない自分が、こんな形で神戸のがれきの街を歩くとは考えてもみませんでした。災害は突然やってきました。やってきて、神戸を空襲の跡みたいにしてしまいました」

 落下した灘区の陸橋、つぶれたJR六甲道駅、傾く銀行のビル、市役所ロビーに身を寄せる避難者――。その後も撮影を続ける。

 日が暮れかけ、三宮から見た西の空は赤く明るかった。再び長田、須磨区へ向かう。暗闇の中、消火活動は追いつかず、炎の勢いは衰える気配はない。圧倒されるほどの灼熱(しゃくねつ)を前に、松崎さんは立ち尽くした。

 撮影は96年春まで続いた。約43時間に上る映像を数分間に編集し、市のホームページなどで公開してきた。それ以外にも大きく亀裂が入った神戸港の岸壁や日本有数の酒所である市東部の醸造所が倒壊した様子など、映像シーンは多岐にわたる。

■市役所に寝泊まり「虫の目」で…

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