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 昨年末、約4年ぶりにユニホーム姿で球場に登場し、薬物依存症やうつからの回復ぶりを印象づけた元プロ野球選手の清原和博さん(52)。笑顔の陰には、いまも続く闘病やしのびよる薬物の魔の手があった。対談本『魂問答』(光文社)の出版を機に、朝日新聞の単独インタビューに応じた。2019年6月の取材から半年で変化した点、変わらない点など、その思いを尋ねた。2回にわたって報告する。

 ――対談で示現寺住職の鈴木泰堂さんは、2018年春から19年秋の1年半で清原さんが驚くほど回復したと評価しています。回復の大きな要因は、息子さんとの再会ですか。

 間違いなくそうです。もし、息子たちに再会していなかったら、いまも絶望の中で、死にたいという思いが強かったのではないでしょうか。

 ――19年11月から12月にかけては、野球イベント「FM沖縄開局35周年記念ドリームマッチ」や、海外スカウトの前で球団との契約を目指す選手にプレーしてもらう「ワールドトライアウト」、野球教室イベント「レジェンド・ベースボール・フェス」で、立て続けにユニホーム姿で球場に登場し、回復ぶりが印象に残りました。

 こういった機会を頂けたのはすごくありがたかったです。ただ、実は、三つのイベントが終わった後、1週間ぐらいは落ち込んで何もできませんでした。精神科の先生からは「少し仕事をしすぎじゃないか。また、うつが悪化する可能性があるので、もう少しゆっくりやりなさい」と言われました。

拡大する写真・図版清原和博さん

 そうでなくてももともと10月以降1月ぐらいまでは落ち込みが激しいんです。10月はジャイアンツから戦力外通告をされた時期で、嫌でも思い出してしまいます。11月はドラフトがあり、18歳の時の苦い記憶がよみがえります。12月や1月はクリスマスやお正月など家族で過ごすイベントが多いので、家族と過ごせない僕にとってはつらい季節です。

 それに、いまのような体力、体形でユニホームを着るのは、すごく恥ずかしい思いでした。トレーニングはしていますが、まだまだ自分本来の体には戻っていません。また、うつの薬の副作用で体重が増えてしまうため、いくらがんばってトレーニングしてもプラスマイナスゼロになってしまうんです。

 ――取材を受けるのも苦手ですか。

拡大する写真・図版1985年のドラフトでPL学園から西武に入団した清原和博

 本当はいまもまだ、人前に出るのが怖いんです。うつの影響で、初めての場所に行ったり初対面の人に会ったりしなければならないときにはものすごく緊張します。

 「ワールドトライアウト」では監督を務めさせて頂き、開催前の記者会見にも出席しました。大勢の記者やカメラマンが来ていました。それだけでもすごくストレスだったのに、席についたとたんバシバシバシッと一斉にフラッシュをたかれました。全身から汗が出て、頭の中が真っ白になり、何を話していいのかわからなくなってしまいました。薬物事件で送検される時の車の中で浴びた、ものすごい量のフラッシュを思い出してしまったんです。逮捕以来、フラッシュが苦手になりました。

薬物が目の前に
人前に出始めると、薬物を手渡されることも――。清原さんも昨年、似たような体験をしたことがあるそうです。

 また、いまも車で桜田門の近く…

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