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 あの日から25年。各地に設けられた追悼の場には、亡き人を思い、震災を語り継ぐため、多くの人たちが集い、祈った。

お前の年をどんどん超えていく

 神戸市中央区の東遊園地。地震が発生した午前5時46分、訪れた人びとは「きざむ 1・17」という文字の形に並べられた竹灯籠(どうろう)を囲み、黙禱(もくとう)を捧げた。

 神戸市灘区の会社員、竹場満さん(54)は、震災で自宅と近くにあった妻の実家が全壊。実家の1階で寝ていた1歳の長女、瞳ちゃんが下敷きになり亡くなった。「生きていたらどんな子になっていただろう」

 ここに来ると、瞳ちゃんの名前が記されたモニュメントの銘板の前に、弟妹にあたる子ども4人や孫を連れていく。子どもには姉がいたこと、孫には伯母がいたことを伝えるためだ。

 震災約1週間前に生まれた長男(25)には2人の子どもがおり、瞳ちゃんよりも長い年月を生きている。「子どもも孫もお前の年をどんどん超えていくで」。そう心の中で語りかけた。

 涙を流しながら、ろうそくを片手にたたずんでいたのは、神戸市東灘区の三宅弥生さん(78)。兵庫県芦屋市に住んでいた会社員の次男、真輔さん(当時28)を亡くした。

 いつも一緒にいたくて、真輔さんの写真を手帳に挟み、肌身離さず持っている。生きていれば今年、被災時の自分と同じ年齢になっていたはずで、過ぎた月日の長さを感じる。

 「見守ってくれているおかげで、今年も一緒に灯(あか)りを見ることができた。来年も、再来年もまた、元気な姿でここに来たい」

 神戸市中央区の大学院生、山下汐莉(しおり)さん(25)は被災時、生後4カ月。小中学校の授業では、「震災を知る最後の世代」と言われ、知らない出来事を語り継ぐプレッシャーを感じてきた。

 大学に進み、震災の日に生まれた友人と知り合った。授業中に地震が起きた際、周りの学生が身動きしない中、2人はとっさに机の下に隠れた。「その時、震災教育の意味を知った」

 両親に被災時の状況を聞くと、2人が激しい揺れの中、自分に覆いかぶさり、守ろうとしてくれたことを知った。それから、この場に足を運ぶようになった。「自分たちの世代から震災の経験を神戸だけでなく、多くの人たちに伝えていきたい」(川嶋かえ、森下友貴、小池寛木)

■「恥ずかしくない子に」妻の口…

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