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 四半世紀にわたるこれまでのキャリアの集大成ともいえる作品展を、東京都現代美術館(2月16日まで)で開いているデザイナーの皆川明さん(52)。魚市場で働きながら食費一日100円でしのいだ苦しい時代を乗り越え、追求し続けている「100年続くブランド」とは、どんなものなのか。たっぷりとうかがいました。(巡回展は6月27日から8月16日まで兵庫県立美術館で開催予定)

節目の時期を前に

 ――今年で創業25周年、ちょうど四半世紀ですね。

 ブランドを始めたころは30年を最初の区切りと考えていました。30年経てば、ただ自分たちが作りたい服を作るだけではなくて、1着ずつ大事に作ることを積み上げながら、社会になにかしら役割が持てるように整えられるのでは、と思ったのです。その最初の30年が近づく中で、よりきちんと熟成されたものを世の中に出していきたいという思いが強くなっているところです。

 ――初めは「ミナ」だったブランド名を2003年から「ミナペルホネン」に変えたのはなぜですか。

 北欧やその文化が好きなのですが、ミナはフィンランド語で「私」、ペルホネンには「チョウ」という意味があります。03年当時、インテリアなど活動範囲が広がっていく中で、ふと自分たちのテキスタイルの柄はチョウの羽みたいだなと思ったのです。これからもチョウの羽のように様々な美しい柄を作って、軽やかに活動を広げていければ、という思いを込めました。

食費が1日100円のときも

――アトリエは八王子から阿佐ケ谷、白金台へと少しずつ都心へ。阿佐ケ谷では騒々しい居酒屋の上階でしたね。

 ビル掃除をする代わりに家賃をまけてもらっていました。八王子の頃の4年間は、朝4時から昼まで魚市場で働いて、午後から深夜まで服作りで、眠る時間は3、4時間。最初の頃は服作りだけでいつ生活できるようになるのか見通しが立たなかった。家賃3万4千円も時々滞納したり、食費は1日100円ね、などと決めたり。それでも服を作ることが楽しかった。

 ――その後は順調に売り上げが伸びて、白金台に初の直営店を出せた。

 実はその時も、出店に貯金をはたいたら通帳に5万円しか残らなかった。その月に赤字が出たら、終わり。なんとかなりましたけれど。

一人の寿命の尺度を超えて

 ――最初にブランドを始めた時、紙に「せめて百年つづくブランド」と書いたそうですね。

 当時は自分の能力が、頭で描いているものより劣っているなと感じていた。でも100年もすればいろんな人に自分の意思や手の仕事をつないでいってもらえるかもしれない。その時自分はいなくても、100年先を見ていればいま何をすべきかがわかる。一人の人間の寿命の尺度で考えなくていいと思ったのです。

 ――そういう老成した考え方はどこから?

 陸上競技を通じてです。中学の…

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