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 故・三木武夫元首相の下にあった「日ソ交渉会談録」には、冷戦下の1956年に日本とソ連が国交を回復した共同宣言に至る経緯が生々しく記録されていた。安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領が平和条約締結に向けた基礎にするという56年宣言が、いかに混沌(こんとん)とした交渉から生まれたかを物語る。

 1956年10月、モスクワ。日ソ共同宣言の大詰め交渉で焦点となった領土問題は、河野一郎農相とフルシチョフ第1書記の会談で話し合われた。

 16日の最初の会談で、河野氏は「歯舞・色丹は日本側にお譲り願う党議を決定せねばならなかった。提案が変わったようで済まない」と切り出した。

 日本はソ連に国交回復の条件として、抑留日本兵送還や国連加盟支持などを求めつつ、領土問題は単に「交渉継続」と伝えてきた。だが自民党が交渉のハードルを上げる党議を決定。訪ソした政府全権団は「2島返還」という成果を急がねばならなくなった。

 フルシチョフ氏は、2島を譲るなら「領土問題は解決済み」と主張した。17日の2回目の会談。河野氏はフルシチョフ氏に「日本案」を手渡した。

「日本の弱い立場が浮き彫りに」。論説委員が記録の中身を解説します。

 ソ連は歯舞・色丹を引き渡し、…

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