拡大する写真・図版イラスト・ふくいのりこ

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 新しい一年が始まりました。みなさんは、年始に「こんな年にしたい、あんな年になったらいいな」と思い描いた日々を過ごせているでしょうか?

 私の2020年は、「新しいことにチャレンジする」を目標にスタートしました。昨年は、思いがけない入退院が重なって、自分の生活が途切れ途切れになることにもどかしさを感じることも多くありました。

 定期的な治療は避けられないにしても、病気にペースを乱されることのない年でありたいと願います。また、患者の視点から発信する立場上、本コラムも必然的に入院リポートが増えていました。これまで通り等身大の私を綴(つづ)りつつ、明るい話題も増やせたらなと思っています。

久留米への引っ越しは小学5年の時

 そんな風なことをおぼろげに考えていた年末、初心を思い出させてくれる出来事がありました。小学校の学年同窓会です。30歳という区切りのよい年齢になる年であることから企画されました。25歳の年以来なので、5年ぶりです。

 このときの友人たちは、私にとって特別な存在でもあります。私は小学校5年生のときに、埼玉から久留米へ引っ越しました。久留米の小学校は2年間だけでしたが、転校してきたことを忘れるくらい、みんな仲良くしてくれて、心細い思いをしたことはありません。

 大きな病気にかかったり、障害を持ったりすると、なにかと色眼鏡で見られることがあるものです。発病以降は、病気や障害というフィルターに遮られて、私自身を見てもらえないこともありました。発病した中学生のときは、病気のことが伝わり切れておらず、「途中から学校に来なくなった人」という認識の人もいたようです。それに比べて、元気いっぱいだった頃の私を知っている小学校時代の友人たちは、いい意味で遠慮がありません。

街中で受ける謎のエール

 たとえば、「車いすだから出張外しといたよ」と言われたとき。普通に行きたかったのに……と内心は複雑です。車いすだからデスクワークがいいだろうという親切心が見えるだけに、いかに角を立てずに行きたい旨を伝えるか、無駄な心労が生まれます。また、ドリンクバーやビュッフェのとき。「座ってていいよ。取ってくるから」と言ってくれるのはうれしいけれど、これも複雑です。自分で選びたいと思うのは自然な発想のはずなのに、そこに思い至らないらしいのです。

 街中を歩いているだけで、見ず知らずのおばあさんに「大変だろうけど、がんばってね」と謎のエールを送られることも、しばしば。笑顔でお礼は言うけれど、障害者=かわいそうという偏見に満ちた忖度(そんたく)に嫌気がさします。いずれも障害に対する思い込みや固定観念が先行して、その人自身が見えていません。居心地のよさとはかけ離れ、もやもやだけが募ります。

 こうした小さなストレスに目を向ければキリがないので、普段は気に留めることはありません。けれども、病気や障害を抜きにして、真っすぐに向き合ってくれる人たちと過ごす時間に触れたとき、ふいに気がつく居心地のよさ――。昔と変わらないテンションで接してくれることは、とてもうれしいことなのです。ひさしぶりに会う旧友たちの近況はさまざまで、それぞれの頑張っている姿に刺激を受けると同時に大いに力をもらいました。

医師・中村哲さんに感じた「大人」

 ふと、卒業文集に書いた「将来の夢」を思い出します。「医者になりたい」――。私は、小学生のころから、医師を志していました。きっかけが何だったのかは明確に思い出せないけれど、わりと早い時期から現実的な目標として捉えていたように記憶しています。

 先月に亡くなった中村哲氏は、忘れられない存在です。神経内科を専門とする医師で、国内の病院勤務を経て、パキスタンやアフガニスタンを中心に医療活動をなさっていました。その活動は医療にとどまることなく、灌漑(かんがい)事業にも及びます。現地の人々が何を必要としているのかという根底を見つめ続けた結果、「生きることが最優先」と命をつなぐ水の重要性にたどりついたそうです。

 知るきっかけは、何かのニュースだったでしょうか。当時、医師になる夢をもっていた小学校5~6年生の私は、医療におごることなく、人の命と真に向き合い、本質的な援助を行う中村氏の精神に強く共感しました。それを体言し続ける姿は「かっこいい大人像」として、鮮明に刻まれています。

 けれども、やはり、小児がんを経験し、車いすユーザーとなった前と後では「将来の夢」も変化していきました。結局、医師になることは身体の事情で諦めましたが、救命志望から一転、麻酔科医を目指すようになったのは、発病当時から診ていただいているペインクリニックの主治医に憧れてのことです。

 重粒子線治療に携わりたいと医学物理士を考えたこともあったけれど、今は方向性を変えて全く異なる分野で働いています。ただ、変わらないのは、「困っている人の力になりたい」、「どんな人も、当たり前に幸せで、笑顔であってほしい」という思いでした。

 1月25日に福岡で行われた、中村氏のお別れの会。日常の喧噪(けんそう)で忘れてしまいがちな初心を胸に、しっかりと故人を偲んできました。

<アピタル:彩夏の“みんなに笑顔を”>

http://www.asahi.com/apital/column/ayaka/(アピタル・樋口彩夏)

アピタル・樋口彩夏

アピタル・樋口彩夏(ひぐち・あやか)

1989年、東京生まれ。中学2年の時、骨盤にユーイング肉腫(小児がん)を発症。抗がん剤、重粒子線などの治療を経て、車いすでの生活に。「いつ、誰が、どんな病気や障害をもっても、笑顔で暮らせる日本にしたい!」を目標に日々、奮闘中。当事者の視点から建設的に伝えることをモットーに執筆・講演も行っている。