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 日本航空が2010年1月に会社更生法の適用を申請し、経営破綻(はたん)してから10年。当時、社民党から運輸担当の国土交通副大臣に就き、前原誠司国交相らとともに日航の破綻処理に奔走した辻元清美氏に聞きました。

拡大する写真・図版インタビューに応じる辻元清美元国交副大臣=2019年12月、東京都千代田区

日航は瀕死の状態だった

 ――当時はどんな思いで日航問題への対応に当たっていたのですか。

 今、飛行場にいって日航機を見ると「今日も飛んでいるな。良かったな」と思っている。当時の判断は一か八かの局面もあったから。私は国交省につくった(日本航空再建)対策本部の事務局長になり、会社更生法を適用して再生を進めようと早い段階に心に決めた。私的整理を推す意見が多い中、押し切って、法的整理に踏み切った。

 ――なぜ法的整理と考えたのですか。

 自民党政権では、国交省は日航がつくった再建計画を有識者会議がチェックして財政的な支援をする考えだった。これでは問題の先送りでしかない。当時は国が無駄な空港をつくって日航に赤字路線を飛ばさせた。もたれ合いの関係だと言われていた。私的整理は、いっときの財政負担は少ないかもしれないが、ずるずる同じことを繰り返す恐れがある。国民の納得を得るには法的整理しかないと思った。米国でゼネラル・モーターズの破綻処理があり、参考にできないかと勉強した。

 ――日本経済には08年のリーマン・ショックのダメージが残っていました。

 日航は瀕死(ひんし)の状態だった。取り扱いを一つ間違えれば、日本経済転落の引き金になりかねない。でも、飛行機を止めることはできない。両方に配慮したスキームをつくるのが私の役目だった。私は黒衣に徹し、国交省内に秘密のチームをつくって進めた。

 ――09年11月に発表した日航の09年4~9月期中間決算は大赤字でした。

 決算が発表されたら深刻な状況…

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