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 ロシアの前身ソ連と日本が国交を回復した1956年の共同宣言に盛り込まれた平和条約締結交渉をめぐり、「領土問題を含む」という表現が盛り込まれなかった経緯について、関連する文献間で記載内容にズレが生じている。新たに明らかになった外務省作成とみられる文書には日本側が提示していた譲歩案が記されており、「日本は一貫して主張したがソ連に押し切られた」という従来の説が揺らぐ状況となっている。

拡大する写真・図版1956年10月19日、日本とソ連の戦争状態を終結させる共同宣言に署名する鳩山・ブルガーニン両首相=モスクワ・クレムリン

日本が譲歩 「三木文書」に記載

 日本の譲歩案が記されていたのは、明治大学OBの三木武夫元首相が保管していた「日ソ交渉会談録」。共同宣言の翌57年に外務省でソ連を担当していた「欧亜局第三課」が作成したとされる。当時自民党の要職にあった三木氏の没後、母校に寄贈されていた。

 その「三木文書」によると、譲…

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