[PR]

 四万十の冬は、南国高知にしては寒い。雪も降る。この時期は、白衣にジャンパーを羽織って訪問診療に出る。

 ぼくの年齢を思ってか、今月から毎週水曜日の午後の訪問診療には妻が運転手をかってでてくれた。

 六十歳代ふたりでの訪問診療もなかなか面白い。堤防を走っていて、「川も空も、今日の青はきれいだねえ」と、四万十川の風景を 褒めながら、患者さんの家に向かう。

 外来診療を終えてからの往診には、疲れているぼくは何度も妻に運転を頼んだことはあるが、水曜日の定期的な訪問に同行するのは初めてのことだ。草花の好きな妻は、ぼくが診察中には車の外に出てスケッチをしていることが多い。こんな家内工業的な雰囲気は、ずっとぼくのあこがれだった。

拡大する写真・図版河川敷の菜の花を眼下に、堤防を歩く 写真/森 千里

 先月から立て続けに、がんの末期の患者さんから訪問診療の依頼があった。初めて診察するまでのあいだは、正直少し気が重い。患者さんを一度診察すると、何とか力になりたいと腹をくくるのだが、旅の前の気分の重たさに似た気持ちだろうか。

 ひとりは七十四歳、男性。肺がんで治療を続けていたが効果がなく、家で過ごしたい希望があり、訪問診療を頼まれた。 

 最初の診察をする前に、「私はここで最期を迎えます。よろしくお願いします」とあいさつがあった。湿っぽくなく淡々とした調子だった。

 四万十川の一番下流にある沈下橋のある地域に、自分で道まで切り開いて作った、山荘のような家に住んでいた。夜はその道に猪が出ると聞いた。「本人もですが、私の不安も一緒にみてほしい」が、介護する妻からの第一声だった。本人は診察の終わりに、「これで安心した。痛みはこれぐらいは辛抱できます」と、柔らかな顔だった。

 初めての診察を終えて、庭に出た。「うわー、すごい。きれいですね」と、見送りに出てくれた患者さんの妻に言った。四万十川上流の山々の向こうの夕焼けが燃えるような色だった。ふたりで空の色が薄れてゆくまで、しばらく見とれていた。

 ふたり目は高知市の病院で胃がんの手術を受けて、一年ほどして癌性腹膜炎で再発した。高知市の病院から退院後の訪問診療の依頼があった。高知市から四万十まで百キロ、退院した日に患者さんの診察に行った。「疲れませんでしたか」と聞くぼくに、「先生は若いなあ。往診車で走っているのをよく見るよ」と明るい声だった。「先生、何とか食べてみるよ。再発だからどうなるかわからんけれど」と、表情はしっかりして言葉も力強い。

 がんの末期でも、在宅医療の現場はそんなに暗くない。いのちをまるごと受け取るしかない場面を、ぼく自身はできるだけ自然にと思っている。これからの可能性を考えると、みんなのこころが揺れてしまう。

 これからのことは、誰もわからない。その時はその時なのだ。

拡大する写真・図版(今月のことば) 思春期の子と、診察室で向かい合います。おなかが痛い、下痢が続く、それも朝の学校へ行く前にです。公立病院で検査をして異常はないとのこと。「大丈夫、大丈夫。思春期が 終わったら楽になるよ」と、ぼくの体験も話します。にこっとしたところで、「大変が続いたらまたおいでよ」と、また「大丈夫」を繰り返します。

<アピタル:診療所の窓辺から>

http://www.asahi.com/apital/column/shimanto/(アピタル・小笠原望)

アピタル・小笠原望

アピタル・小笠原望(おがさわら・のぞみ) 大野内科医師

1951年高知県土佐市生まれ。76年弘前大学医学部卒。高松赤十字病院などを経て97年大野内科(四万十市<旧中村市>)。2000年同院長。18年12月から同医師。在宅医療、神経難病などの分野で活躍中。最新の著書は「診療所の窓辺から」(ナカニシヤ出版)。