30年前、児童が描いた原爆紙芝居復活へ 未来への思い

有料記事空襲1945

浅沼愛
[PR]

 「さよなら。行きなさい」。お母さんを置いて、燃えている家から離れてゆきました。お経を唱えるお母さんの声が聞こえ、後ろ髪を引かれる思いでした――。

 16歳のとき、広島で被爆した岩佐幹三(みきそう)さん(91)の体験に基づく紙芝居づくりが進んでいる。紙芝居の絵は、30年前に小学生たちが描き、大切に保管されていた。戦後75年。被爆の歴史を語り継ぐ試みが、石川県内でも続く。

 岩佐さんは後に金沢大学教授となり、石川県原爆被災者友の会を立ち上げた。1988年、金沢市立十一屋小で、6年生に被爆体験や被爆者運動の歩みを語ったことがあった。当時の学級担任で、「いのちの教育」で知られる金森俊朗さん(73)が招いた。

 2日にわたり、5時間続いた岩佐さんの話をもとに、児童は48枚の絵と台本を書き上げ、紙芝居を完成させた。自宅に炎が迫り、屋根の下敷きになった母を置いていかざるを得なかった壮絶な体験を伝える場面も含まれていた。

 出色の出来でありながら、一般に知られることがなかった紙芝居。金森さんは昨年12月に入院する前、「お前に任す」と、教員仲間だった川崎正美さん(64)に託した。金森さんも川崎さんも、金沢・卯辰山の原爆犠牲者追悼碑「平和の子ら」を題材にしたCD制作委員会のメンバー。被爆者が高齢化し、体験の語り手がいなくなることを危惧していた。

 川崎さんは紙芝居を継承活動…

この記事は有料記事です。残り610文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【10/25まで】すべての有料記事が読み放題!秋トクキャンペーン実施中!詳しくはこちら

空襲1945

空襲1945

あのとき、日本中が戦場だった。東京・大阪・福岡など各地の写真300枚や映像、データマップで惨禍を伝えます。[もっと見る]