拡大する写真・図版自称「寝たきり社長」の佐藤仙務さんは、仰向きに寝た姿勢でパソコンのスクリーンが顔の正面に来るように設置。視線や音声、1センチだけ動く左手の親指を駆使して、A4用紙に文書を15分以内で打つ=愛知県東海市

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 愛知県東海市の佐藤仙務(さとう・ひさむ)さん(28)は、目や口のほか、親指を1センチ程度しか動かせない難病です。高校卒業後、「働く場がないなら自分で会社を作ろう」と、同じ病気の幼なじみと一緒に会社を設立します。

進路は「有名人になる」

 名刺やウェブページ作成などを請け負う会社「仙拓(せんたく)」(愛知県東海市)社長の佐藤さんがいま自力で動かせるのは、眼球や口と左手の親指1センチ程度。「寝たきり社長」を自称する。

 生後10カ月になっても、首がすわらなかった。4歳上と1歳上の兄2人に比べて変だと思った母の稲枝(いなえ)さん(58)が病院に連れて行き、運動神経細胞が変性して筋肉が萎縮していく「脊髄(せきずい)性筋萎縮症(SMA)」と診断された。人口10万人に1~2人の難病だ。

 「寿命は10歳」。稲枝さんは医師に告げられた。その年齢が近づく小学3、4年のころから筋肉の衰えが目立ち、鉛筆も持ちづらくなった。夜は息苦しくてよく目が覚めた。大学病院で検査を受け、筋肉が弛緩(しかん)する睡眠中に何度も無呼吸になっているとわかった。

 従来なら、気管切開をして大型の人工呼吸器をつける必要がある状態だった。当時ちょうど、在宅用の小型で簡便な人工呼吸器が使われ始めていた。医師の勧めでそれを寝るときだけつけるようになり、息苦しさから解放された。

 家庭では、障害があるからと特別扱いされることなく、兄2人と同じように育てられた。父の政好(まさよし)さん(62)は、「工夫さえすればどんなことも克服できる」と、兄たちがゲームに興じた時期には、指の力が弱い佐藤さんもプレーできるよう、ゲーム機のボタンを改造してくれた。

拡大する写真・図版親指1本で操作できるように父が改造したゲーム機を使う、小学生のころの佐藤仙務さん=本人提供

 兄たちが通った小学校に通うものと思っていたが、意に反して、特別支援学校に行くことになった。母に理由を尋ねると、「東海市では(普通校への入学は)認められなかった(許可されなかった)」と答えた。

 当時は母の言ったことが理解できなかったが、母の寂しそうな表情が強く記憶に残った。成長してからは、こう考えるようになった。「社会に認められる存在になるにはどうしたらいいのか」。そして「認められるには有名人になればいい」という結論に達する。

 高校の担任教師との進路についての面談では「メディアに出まくる有名人になる」と宣言した。

 高校卒業後は、兄2人と同じように就職するつもりだった。

■初の挫折から会社…

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