拡大する写真・図版豊臣秀吉がつくった湯山御殿の泉源とみられる遺構。有馬温泉の湯は鉄分を多く含む。底の石敷きは、酸化鉄で覆われていた(神戸市教委提供)

 豊臣秀吉は、織田信長の配下として播磨(現在の兵庫県西部)方面で戦ったことが縁で、有馬温泉(神戸市北区)を気に入っていたらしい。文献史料には、「湯山(ゆのやま)御殿」と呼ばれた有馬の別荘をたびたび訪れ、温泉で疲れを癒やしたとされる。湯山御殿とは、秀吉が天下統一を果たした4年後の文禄3(1594)年に町屋65軒を強制退去させて造営した別荘だった。2年後の慶長伏見地震で倒壊し、その翌年に再建されたと記録されている。だが、どこに御殿があったのかは不明だった。

阪神・淡路大震災から今年で25年。被災地で行われてきた調査の軌跡を紹介します。

 有馬温泉には、次のような言い伝えがあった。「秀吉の建てた御殿は、極楽寺の下にあった」。極楽寺という寺は、今の有馬温泉街の南に実在する。その庫裏(くり)(住職らの居住する場所)の床下には階段があり、降りていくと石積みの壁で囲まれた高さ2メートルほどの地下室があった。

拡大する写真・図版再建された極楽寺の庫裏。1階部分は出土した遺構や遺物を展示する「太閤の湯殿館」。池や石垣など庭園も復元された=神戸市北区

 1995年1月17日午前5時…

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