拡大する写真・図版福岡時代の思い出を語る五木寛之さん=東京都港区、飯塚悟撮影

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 朝日新聞西部本社は1935年2月11日、九州で発行を始めました。その3年前、福岡県で生まれたのが作家の五木寛之さん。87歳のいまも筆を執り続ける五木さんを突き動かす九州の原風景とは何か。経験から紡ぎ出される言葉はときに厳しくときに鋭く、メディアの明日にも示唆に富んだまなざしを向けていただきました。

いつき・ひろゆき 1932年、福岡県生まれ。生まれてすぐ朝鮮半島に渡り、47年に引き揚げ。早大ロシア文学科中退。66年に作家デビュー。翌年「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞。69年、筑豊の炭鉱を舞台にした「青春の門」の連載が始まる。

 ぼくのことを筑豊出身だと思う人がいるようですが、筑後・八女です。

 終戦後、外地から引き揚げたのも八女でした。両親のふるさとでしたから。筑後は非常に豊かな中農地帯です。みかん、お茶、たけのこ、その他もろもろ。それだけに戦後、引き揚げ者として転がり込むと周りとの格差が大変でした。

 中学から高校にかけて、夏休みになると1カ月ほど筑豊へアルバイトに行っていました。八女茶の行商です。

 自転車にお茶を積んで行くと、「一番高かとばくれっ」と声が掛かる。日本全体が豊かさへと向かう高度成長期の少し手前。炭鉱の街はバブルでしたから。当時の経済と文化の中心は小倉。そのエネルギーを支えているのは筑豊の石炭という構図です。

 「青春の門」の第一部の「筑豊篇(へん)」は、国内屈指の産炭地として日本の近代化を支えた福岡県の筑豊地方が舞台。大きな時代のうねりのなかで、懸命に生きる「炭都」の大人たちと、いくつもの葛藤を抱えながら青春の門をくぐり抜ける主人公・伊吹信介を通して若者たちの姿を生き生きと描いた。

 どこから来たのかわからない人々もたくさんいました。前科者も流れ者も関係ない。過去は問わず、ある種の自由があった。働くものはみな仲間という雰囲気も強かった。長屋同士で「ちょっとしょうゆば貸してくれんね」とかね。ガラは悪いが居心地はいい。歌声運動の全盛期で、歌もあふれていました。ここへ引き揚げてきたら、ずいぶん楽だったと思いましたね。

 やがて、石炭から石油へとエネ…

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