拡大する写真・図版川面が一部凍結した石狩川下流。対雁の集落は奥の左岸付近に築かれた。現在は流域が変わり、一部は川底になっている=2020年1月28日午後4時26分、北海道江別市

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 札幌市中心部から北西へ車を30分ほど走らせると、北海道一の大河・石狩川の下流にたどり着く。暖冬と言われる今冬だが、川岸は冷たい風が吹きすさび、川面には氷が張っている。

 石狩大橋と新石狩大橋に挟まれた左岸に、江別市・対雁(ついしかり)地区はある。今は川沿いに工場や住宅が並ぶ一帯は、元々は約150年前、明治政府によって人工的に作られた集落が始まりだ。住民は、樺太(現ロシア・サハリン)から強制的に連れてこられた「樺太アイヌ」の人々だった。

 地区内にある市営墓地・やすらぎ苑の小高い場所に、2基のお墓が立つ。一つには「乗仏本願生彼国」、もう一つには「樺太移住旧土人先祖之墓」と刻まれている。

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 樺太に住んでいたアイヌの人たちが、対雁に移住してきた背景には、現在につながる領土問題がある。

 アイヌはじめ先住民族、ロシア人、日本人が雑居していた樺太は、日露和親条約(1855年)では国境が画定できず、両国間でトラブルが頻発。明治政府は樺太千島交換条約(75年)を締結し、得撫(うるっぷ)島以北の千島列島を取得する代わりに樺太を手放した。

 江別市郷土資料館によると、政府はこの時、日本人漁業者らと関係が深かった樺太アイヌに対し「日本へ移住しない限り日本人としての権利を認めない」との布告を出し、北海道への移住を促した。農業開拓や炭鉱労働に従事させ、北海道の開拓を進めたいとの魂胆があったという。

 度重なる説得を受け、樺太アイヌの人々はいったんは樺太を望める道北の宗谷地域に移った。その後、対雁を視察した代表者は、開拓使に対し「多人数が移住すると集落が混雑し、疫病が流行すれば全滅しかねない」などと嘆願した。

 だが開拓使は、1876年6月…

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