拡大する写真・図版大宮アルディージャの練習場で、笑顔を見せる佐々木則夫さん=2020年1月21日、さいたま市西区、池永牧子撮影

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 2011年、ドイツで開かれたサッカー女子ワールドカップ(W杯)。日本代表「なでしこジャパン」を監督として初優勝に導いたのが、佐々木則夫さん(61)だった。広く、細かく気を配り、選手をまとめ上げたそのふるまいには、父國夫さん(故人)の影響があった。

仕事は予測してやれ

 口数の少ない人だった。「勉強しろ」と言われたことは、一度もない。酒も飲まず、真面目な父だった。

 故郷山形県で農業を営んでいたが、その後東京で建設会社を起業した。東京五輪のころで、下水道や道路の工事など、仕事はいくらでもあった。埼玉県や東京都の現場やアパートを転々とした。

 明治大学では自宅を離れ、寮で暮らした。サッカー部の練習がオフのときは、國夫さんの建設現場でアルバイトをした。大学2年の冬、普段小言を言わない國夫さんが、こう諭した。

拡大する写真・図版「おやじは、いわゆる家族サービスはあまりなかったですね。家族旅行も行った記憶はありません」=2020年1月21日、さいたま市西区、池永牧子撮影

 「お前、仕事は予測してやれ。従業員が何をしようとしているか気づいて、『次はこれ持っていった方がいいな』という姿勢が、足りない。言われたことをするのは、だれでもできる」

 そして現場近くを歩いているとき言われたのが、「お前、あそこにゴミ落ちてるぞ。どうする?」だった。道端にティッシュが落ちていた。そこで拾って処分するのか、見て見ぬふりをするのか。どうしようか考えていると、國夫さんがすっと拾った。

 視野を広げ、物事に瞬時に反応…

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