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 水俣病の原因企業チッソとの自主交渉の先頭に立ち、被害者救済に力を尽くした故・川本輝夫さん(享年67)をしのぶ「咆哮(ほうこう)忌」が16日、熊本県水俣市内であった。死去(1999年2月18日)から18日で21年。群を抜く行動力と発想で患者運動を率いた「闘士」を知る人たちや親族が集い、功績を振り返った。

 川本さんは父親の死をきっかけに、当時「奇病」と差別され、沈黙を強いられていた人たちを自転車で訪ねて病状を聞き、潜在患者の掘り起こしに奔走。自主交渉では「闘士」と呼ばれ、東京の本社での座り込みは1年7カ月に及んだ。

 同日は川本さんの長男で水俣病資料館語り部を務める愛一郎さん(61)が「今日はたぶん天国から父が来ていると思う。皆様と一緒に、これから一人ひとりがどうやって生きていくか見つめたい」とあいさつ。

 父親を水俣病で亡くし、川本さんらと未認定患者の運動を引っ張った緒方正人さん(66)は「敵討ちをしたいという気持ちが強く、川本さんにもおやじさんのことが動機としてあった」と指摘。「川本さんは体を張って世の中に挑んだ。チッソや行政だけでなく、世の中に訴えて体を張って命がけで闘っている姿は、私を刺激することになった」などと語った。(奥正光)

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