「絶対的エース」富樫勇樹 元チームメートにささやいた

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緑川夏生
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 プロバスケットボールBリーグ1部(B1)で日本人初の1億円プレーヤーとなり、いまやバスケ界の「顔」とも言える富樫勇樹選手(26)=新潟県新発田市出身。幼少期から才能を発揮した「絶対的エース」として、東京五輪でも活躍が期待されている。

おむつしているときからシュート

 「おむつをつけている時からシュートの練習をしてたよ」。富樫選手の父英樹さん(57)から衝撃の証言を聞いた。

 英樹さんは中学校の体育教師としてバスケの指導に長年携わり、富樫選手の母も大学までプレー経験があった。富樫選手は、まだミルクを飲んでいた頃から、室内用のゴールめがけて小さなボールを投げていたという。叱られるまでボールを床に打ち付け、試合もテレビで好んで見るような子だった。

 小学校に入ると、自然な流れで、英樹さんが監督をしていたミニバスのチーム「新発田キッズ」に。高学年の児童が多い中、すでにドリブルやボールさばきでひけをとらなかった。「テレビでも試合を見ていたし、選手の動きを見てまねすることがうまかったんじゃないかな」と英樹さんはいう。

 ただ当時はシャイな性格が前に出て、試合を尻込みするところがあった。4年生の頃に出場し始めると、司令塔のポイントガードとしてすぐにチームの中心に。体格差のある6年生とも競り合い、英樹さんは当時、富樫選手がミスしたりボールをとられたりしたのを見た記憶がないという。

 「技術的な指導はしたことがない」と英樹さんは振り返る。ただ、そのほかの「大事なこと」は間接的に伝わるよう意識した。「テレビを見たり、妻に話しかけたりしてる時、『人としてこういうの大切』『ひげは生やさないように』『この選手の身なりがいい』とわざと大きな声で繰り返し言ってきた。聞いてたんじゃないかな」

中3の全国大会 リードされた局面で

 バスケの申し子ともいえるような富樫選手。本丸中学校でチームメートだった川崎龍太郎さん(26)=新潟市=は「絶対的エースだった」と振り返りつつ、別の一面も証言した。

 入学当時は身長148センチ…

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