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 顧客のニーズに応えることは、ビジネスを成功させるポイントです。人々が欲しいと考えるものを適切な価格で提供することで経済が回り、多くの人が幸せになります。医療においても、「長生きしたい」「痛みを取り除きたい」といった患者さんのニーズに応えなければなりません。

 しかし、ただ患者さんの希望通りに医療を提供すればいいわけではありません。例を挙げれば、風邪に対して抗菌薬(抗生物質)を処方して欲しいと希望されたからといって安易に処方してはいけません。肺炎でも溶連菌感染症でもない普通の風邪に抗菌薬が効かないことはだいぶ周知されてきましたが、それでも処方を希望する患者さんがいらっしゃいます。

 医学的に必要性に乏しい抗菌薬処方は、医療費が無駄になるばかりではなく、耐性菌を増やしたり、副作用を起こしたりして患者さんの不利益になります。顧客のニーズに安易に応えてはいけない場合もあるのです。それに、本当に患者さんが必要としていたものは抗菌薬ではなく、風邪の症状が取れて楽になることのはずです。そうした判断を行うのは専門家の仕事です。

 他にも、脱水がないのに「点滴して欲しい」、軽度の頭部外傷に「頭のCT検査をして欲しい」など、必要性に乏しい医療の希望はけっこうあります。患者さんの背景には不安や不満があることが多く、時間をかけてお話を聞き丁寧にご説明するなど、ケース・バイ・ケースで対応します。

 患者さんが悪いのではありません。かつて、不必要な抗菌薬処方、点滴、頭部CT検査をしていた医師がいたからこうなったのです。医師は患者さんのニーズを作り出すことができる、強い影響力を持っています。多くの場合は患者さんの利益になる方向へ影響しますが、例外もあります。

 普通の風邪の患者さんに抗菌薬を処方したところで、患者さんは不利益に気付きません。普通の風邪ですからそのうち治りますが、患者さんは抗菌薬のおかげと誤認します。点滴も「治療をしてもらえた」という満足感をもたらしますし、頭部CTも安心感をもたらします。満足感や安心感があるからかまわないわけではけっしてありません。軽微とは言え、針を刺したり、放射線被ばくを受けたりするリスクを伴います。

 不安を喚起するのもニーズを作り出す手段の一つです。科学的に有効性が認められたがん検診は公的に補助金が出ているため低負担で受けることができますが、それとは別に、効果が証明されていないがん検診が自費診療で提供されています。誰しもがんは怖いものです。「がんで死なないように早期発見・早期治療しましょう」とうたえば、お金を出して検診を受けたくもなるでしょう。

 患者さんのニーズを作り出せれば、たとえそれが医学的に不適切なものであったとしても、医療機関の金銭的な利益になってしまうのも問題です。強い影響力を持っていることを自覚し、患者さんのニーズに応じているつもりで必要性に乏しい医療を提供することがないよう、医師は常に自らを律していなければなりません。

《酒井健司さんの連載が本になりました》

これまでの連載から80回分を収録「医心電信―よりよい医師患者関係のために」(医学と看護社、2138円)。https://goo.gl/WkBx2i別ウインドウで開きます

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酒井健司

酒井健司(さかい・けんじ) 内科医

1971年、福岡県生まれ。1996年九州大学医学部卒。九州大学第一内科入局。福岡市内の一般病院に内科医として勤務。趣味は読書と釣り。医療は奥が深いです。教科書や医学雑誌には、ちょっとした患者さんの疑問や不満などは書いていません。どうか教えてください。みなさんと一緒に考えるのが、このコラムの狙いです。