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 女子ラグビー(7人制)の原わか花(ば)選手(20)=新潟市秋葉区出身=は、高校から本格的に競技を始め、わずか数年で五輪出場も見えるレベルまで力を向上させてきた。支えたのは、持ち前の行動力だ。

 小さい頃から体を動かすのが大好き。よく木に登り、どぶに突っ込んだ。小学生の頃、新潟市の陸上大会で「100メートル走は5位に入った」。

 中学2年の時、祖父の家でたまたま大学ラグビーの試合をテレビで見た。ラグビーは「長身」「肉厚」だけでなく「小柄」や「俊敏」など、ポジションごとに選手はさまざま。「体のサイズに関係なく、強みがあれば勝負できる」とひかれた。バレーボール部のアタッカーだったが、150センチ半ばの身長で限界を感じていたからだ。

 さっそく、インターネットで「高校 女子ラグビー 強い」と検索し、行き着いたのが、当時日本一だった石見智翠館高校(島根県)。同校からのメールで娘の思いを知った両親からは「やりたいなら、やってきなさい」。中3の夏、両親の運転で12時間かけて学校見学に向かい、山と海に囲まれた「ラグビーするしかない環境」を見て覚悟を決めた。

 ところが、進学すると、周りはラグビー経験者ばかり。「これじゃだめだ」と今度は日本を飛び出し、ラグビーの本場・ニュージーランドに半年間の留学を決行した。技術を身につけて帰国すると、快足を生かしたウィングとしてレギュラーの座を獲得。めきめきと頭角を現し、高校3年の夏には日本代表に選ばれた。

 「すごいと思っていた人が同じ空間にいて、物おじしかなかった」という代表チーム。単にトライを取るだけでなく、様々な技術が高いレベルで求められた。数カ月後には代表メンバーから脱落。大学進学後も自信が戻らず、どこを走ったらトライが取れるのか、何が悪いのか分からなくなった。

 スランプ脱出を賭けたのが肉体改造だ。「走れる体」を作りあげるため、最大63キロあった体重を食事を変えて53キロまで落とし、2時間かけてウェートトレーニングのコーチのもとに通い、教えを請うた。

 すると、徐々にプレースピードが上がっていく。試合中、相手がどこからタックルしてくるかが分かり、トライにつながる走行コースが見えるようになった。昨年、再び日本代表の座をつかみ取った。

 壁にぶつかり、そのたびに道を切り開いてきた我が子の姿を、父淳一さん(44)は「すごく行動派」と話す。「本人がやりたいと言ったことに勝るものはない。だからこそ、想像もしていなかったところに行っている」と舌を巻く。

 その“想像もしていなかった”舞台、東京五輪に届くかもしれないところまで上ってきた。昨年には五輪代表候補にも。「東京だから色んな人に見てもらえるし、注目が高まり、女子ラグビーの普及にもなる。今までの感謝も伝えたい」と話すが、気負いはない。

 「いつもぎりぎりで、(候補から)落ちてもおかしくない。がむしゃらに全力でやるだけ」(杉山歩)

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 はら・わかば 2000年生まれ。高校3年時に7人制日本代表に。慶応大に在学しながら、東京山九フェニックスに所属。ポジションはウィング。

 女子ラグビー(7人制)の五輪登録メンバーは12人で、国内合宿や国際大会を経て、6月ごろに決まる。原選手は、昨年五輪代表候補「トレーニング・スコッド」に選ばれた。