拡大する写真・図版インタビューに答える、さだまさしさん=山本和生撮影

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 シンガー・ソングライターのさだまさしさん(67)は9年前、笑福亭鶴瓶さんの「一緒に行こや」という誘いをきっかけに、東北の被災地に足を運ぶようになりました。最初に歌った避難所で、被災者と心を通わせた楽曲とは。長年、“虚像”だと感じてきた歌手「さだまさし」の存在意義について考えたこととは……。ふたたび巡ってくる3・11を前に、語りました。

 ――2011年の3月11日は、どこに?

 「東京の地下3階のレコーディングスタジオにいました。ずいぶん揺れるなと思いながら作業していました。震源が東京だったらいいなと思い、一瞬、ほかの街だったらと考え、ぞっとしました」

 「東北とわかったのは、1時間ほどしてからでしょうか。2時間すると、津波の映像がライブで入ってきました。あまりの津波のひどさに、ただただぼうぜんですね。同時に、音楽家は、無力だなと思いましたよ。たぶん、現地で一番必要なのは、人間の手ですから、ロートルの僕は、東京にいるしかありませんでした」

拡大する写真・図版インタビューに答える、さだまさしさん=山本和生撮影

 ――初めて被災地に入ったのは?

 「NHKの『家族に乾杯』という番組で、笑福亭鶴瓶ちゃんと、5月1日に宮城県石巻市に入りました。ずっと、音楽家が行っても邪魔になるだけだと思っていましたが、鶴瓶ちゃんから『なんか、せなあかんなぁ』と電話がきて、『一緒に行こや。「家族に乾杯」やろや』という展開になったんです。前日は佐賀県にいて、その日のうちに博多に出て、朝一の便で大阪経由で仙台です。鶴瓶ちゃんと、仮の市役所の前で会って、手を握った瞬間、僕にやれることはなんでもしようと思いました」

拡大する写真・図版被災者の前で歌うさだまさしさん(左)=2011年6月、宮城県石巻市、(株)まさし提供

原爆投下直後の長崎も…

 ――石巻はどんな感じだったのでしょう。

 「路地は、車と船が抱き合うように折り重なっていて、臭いと、ほこりと、空気感と、人々の絶望感と、言いようのない空間でした。原子爆弾が落ちて数カ月後の長崎の人も、こんな顔をしていたのかな、と思いました」

拡大する写真・図版インタビューに答える、さだまさしさん=山本和生撮影

 「洞源院という避難所に行きました。鶴瓶ちゃんが落語をやったあと、僕は重たい気持ちで歌い出したんです。小一時間ほどでしょうか。関白宣言、無縁坂、雨やどり、秋桜など、有名な曲がいいんです。関白失脚も、受けましたね。精霊流しは、ちょっと歌えなかったですが……。子どもは、笑いながら『がんばれがんばれ』と歌うし、しばらくすると、大人もつられて、泣きながら『がんばれがんばれ』と合わせるし」

 「歌い終わると、『震災が起き…

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