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 韓国映画「パラサイト 半地下の家族」が今年のアカデミー作品賞や国際映画賞(旧・外国語映画賞)など4部門を制しました。日本の映画興行収入でも上位をキープし続けています。ただ、受賞の歴史を振り返れば、1950年代に黒澤明監督の「羅生門」が当時のアカデミー名誉賞(現・国際映画賞)をとるなど、日本映画が先行していたはず。韓国映画がレベルを上げた背景には何があり、日本との違いは何なのでしょう。パラサイトで監督賞に輝いたポン・ジュノ監督と関係の深い2人に聞きました。

躍進の裏側に暗い歴史 映画評論家の寺脇研さん

 映画評論家の寺脇研さんは、自著「韓国映画ベスト100」(朝日新書)でポン監督と対談しています。――韓国映画が躍進している背景には何があるのでしょうか?

拡大する写真・図版会見するポン・ジュノ監督(右)と主演のソン・ガンホさん=2020年2月23日午後、東京都千代田区の日本記者クラブ、山本裕之撮影

 「大きく言って、二つの側面があると思います。まず挙げられるのが、長く続いた検閲の歴史とそれが撤廃されたことによる『反動』です。日本による植民地時代、内地同様に朝鮮半島でも当然検閲がありました。しかし、日本と大きく異なるのは、その後です。韓国は1950年から北朝鮮と戦火を交えます。53年の休戦後も韓国では軍事独裁政権が続きます。軍や政治、北朝鮮、駐留米軍に関連したり、それをにおわせたりするシナリオ、セリフ、映像は削除されたり短縮されたりしました」

――たとえば、どんな作品が対象になったのでしょう。

 「朝鮮戦争に翻弄(ほんろう)された人たちを描いた『誤発弾』(61年)はいったん検閲を通った後に上映禁止になりました。80年に軍が市民を弾圧した光州事件を描いた『復活の歌』(90年)や労働争議をあつかった『罷業前夜』(同)は検閲にかけられ、重要な部分が削除されました。映画作りは数億円という資本が必要になるので、リスクを考えると出資者はどうしても自粛します。検閲が続いた時期の韓国映画は米国はおろか日本映画と比べてもレベルが低く、韓国国内では(軽蔑的な意味合いから)『邦画(パンファ)』と呼ばれる有り様でした。当時から成功し続けている映画人といえば、『豆満江よさらば』(62年)でデビューし、2002年に『酔画仙』でカンヌ国際映画祭の監督賞を受賞した林権沢(イム・グォンテク)監督ぐらいではないでしょうか」

――その抑圧から、いつ解放されたのですか?

 「軍事政権が倒れて87年に民主化が実現し、96年に憲法裁判所が検閲に対して違憲判決を下したことが大きかった。表現の自由が認められるようになるのです。ポン・ジュノ監督だけでなく、『オアシス』(02年)、『シークレット・サンシャイン』(07年)が海外の映画祭で評価されたイ・チャンドン監督、日本でも人気を博した『JSA』(00年)、『オールド・ボーイ』(03年)のパク・チャヌク監督などはみな、ポスト検閲の世代です。抑圧されていた、表現に対する欲求が一気に開放されたのです」

――躍進の背景になったもう一つの側面とは?

 「教育です。84年に設立され…

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