認知症と向き合い生きる 不安・恐怖に負けない準備を
この原稿を書いている3月11日の時点で、新型コロナウイルスによる大きな不安が世界中に広がっています。2011年3月でも、当時連載していた別のコラムの原稿を書いているときに東日本大震災が起こり、混乱の中で認知症の人や家族、地域にできることを書き記した原稿を送ったことを思い出しました。大震災やウイルス、そして認知症をひとくくりに語ることはできませんが、いずれの事態でも、「不安」や「恐怖」にどのように対応するかが大切です。知らないことを怖がるのは私たちの「当然の反応」でしょう。しかし、その混沌(こんとん)とした状態に対し、正しい情報を持って向き合うことで、その後の展開が改善します。
さまざまな認知症の症状
認知症という病気ひとつをとっても、アルツハイマー型認知症と血管性認知症、レビー小体型、前頭側頭葉変性の違いを知ることは大切です。
たとえば前頭側頭葉変性症の中には「わが道を行く」行動をとることもあり、家族や知人として「どういう認知症でどのような脳の変化や課題があるのか」を知っているのと知らないのでは対応が大きく変わります。
62歳の山中正臣さん(仮名)は何年かにわたって「うつ状態」が続き、近所の神経科で薬を処方されました。その彼に「もの忘れ」が始まったのが2年前の春でした。そして受診した病院で「認知症」の診断が出たそうです。
彼はひとり暮らしで家族がいないため、近所の親しい人たちの支援を受けていましたが、2年前から転倒しやすくなっていることを周囲のみんなが感じていました。
近くの「かかりつけ医」が介護保険の主治医意見書を書いてくれて「要支援1」になり、地域包括支援センターがかかわってくれるようになりました。その時に担当となった主任ケアマネジャーが山中さんを見ていて、彼が立ち上がった時に何度も転倒することに気づきました。そのことを主治医に伝え、主治医から紹介を受けた認知症疾患医療センターが精密検査をした結果、山中さんがレビー小体型認知症であることがわかりました。
このタイプの認知症の特徴である、自律神経の調整がうまくいかず立ち上がった際に転倒する「起立性低血圧」が起きていたのです。彼には家族がいなかったけれど、地域が彼を見守り、地域包括支援センターの関与によって、最も注意すべき転倒の原因がわかりました。
事前の備えを十分に
家族が大切な人の状態の異常に気づいたとき、介護職や医療関係者に伝えれば、その情報からしっかりとした診断ができ、家族の不安に対して「腑(ふ)に落ちる」結果を導き出してくれます。
そして家族が「もしかして認知症かな」と思ったとき、公的な社会支援の方法を早めに知っておくことが大切です。社会福祉の制度や、その手続きなどは「本当に必要になって初めて考えるもの」と思われるかもしれません。しかし地震や災害に対する常日頃からの備えが必要であることと同じように、どのような治療やケアが必要か、活用できる社会制度や手続きを知ることは大切です。
例えば私の診療所に通院している認知症の当事者・家族では、介護保険制度に初めて出会う人も少なくありません。また若年性認知症では、就労が困難になっている人も多く、年金の手続きなどが必要なこともあります。日ごろから情報に触れるように心がけることが大切です。
認知症は医療や介護から地域住民の理解まで、多くの職種の連携が基本的な考え方となっています。それを「地域包括ケア」と呼びます。かつてのように認知症に対して医療だけで対応するのではなく日々の生活の安定が加わることで、より認知症の悪化を遅らせます。私の診療所を受診する人の経過を、この29年にわたって診ていると、医療だけでなく介護や福祉との連携ができて、その人や家族が安心できる体制になるほど、当事者の病気の悪化が抑えられました。一人ひとりの力には限界がありますが、常に誰かが見守る体制を作る多職種連携が基本的な支援の体制になります。家族にとっては「誰かひとり信頼できる人」が対応してくれれば安心だと思いますが、ひとりがすべて引き受けるよりも、多職種が連携した複数のサポートがあり、全体に方向性を考えていくのが大切です。
逃げず、恐れず、あきらめない
認知症は今でも完治できる病気ではありません。それは読者のみなさんもご存じでしょう。でも、「治療ができない」とあきらめることと、医療や介護の連携の中で「できること」を求めて行くのとでは、結果が大きく異なります。
私の日々の診療の中で最も気を付けているのは、絶望と恐怖に対して私たちが諦めてしまわないようにすることです。完全に治せないからと言って私たちは無力ではありません。できることが必ずあります。その目標に向かって日々、不安や恐怖と向き合うことが人生を生きることに他ならないと思います。逃げず、恐れず、あきらめない。その日々の積み重ねこそ、社会全体が「認知症と生きるには」という問いに対して答えを求め続ける姿につながるのだと思います。
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次回から「家族の疑問にこたえる」をテーマに連載を続けます。
最初は「本人と家族の意見が異なる場合」です。(松本一生)
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- 松本一生(まつもと・いっしょう)精神科医
- 松本診療所(ものわすれクリニック)院長、大阪市立大大学院客員教授。1956年大阪市生まれ。83年大阪歯科大卒。90年関西医科大卒。専門は老年精神医学、家族や支援職の心のケア。大阪市でカウンセリング中心の認知症診療にあたる。著書に「認知症ケアのストレス対処法」(中央法規出版)など