[PR]

 昨年1月、千葉県野田市の自宅浴室で亡くなった小学4年の栗原心愛(みあ)さん(死亡当時10)。傷害致死など六つの罪に問われた父親の勇一郎被告(42)の裁判員裁判の判決が19日、千葉地裁であり、懲役16年(求刑懲役18年)が言い渡された。日常的な虐待の有無や死に至る経緯が争点だった。

 この事件で、虐待リスクにつながる情報が最初に入ったのは、故郷の沖縄県糸満市だった。心愛さんと両親は沖縄でどんな暮らしをし、なぜ千葉県野田市へ転居したのか。行政や学校の対応は――。糸満市、友人や知人への取材、裁判での証言などをもとに、事件の背景を探る。

拡大する写真・図版栗原心愛さん

産後うつに苦しんだ母

 その女の子は、潮風が吹く街で育った。沖縄本島の最南端、東シナ海に面した糸満市。シーサーがあちこちに飾られた住宅街の戸建てに住み、海の絵を描くのが好きだった。

 心愛さんは、短い人生の大半をここで過ごした。3歳の時に両親が離婚し、母親(33)=傷害幇助(ほうじょ)罪で執行猶予付き有罪判決が確定=の実家で母や祖父母らと暮らした。

 「とても優しい子でした。しっかりしていて、何でもできて、勉強もお手伝いも大好きでした」

 昨年5月、傷害幇助(ほうじょ)罪に問われた母親の初公判で、祖母は証言した。食器洗いや洗濯物の整理をすすんでやり、母親とハンバーグやギョーザを作ることもあった。「いつも楽しく、明るく生活していました」

 信号を渡ってすぐの小学校では、友達にも慕われていた。

 幼稚園の時からの幼なじみの女子児童(11)は「いつもニコニコしていて、おとなしくて優しい子だった」という。どの科目もよくでき、友達に勉強を教えていた。悪口を言う子がいれば「そんなこと言わない方がいいよ」と諭した。

 外で遊ぶ時は、必ず宿題を終わらせてから来ていた。お絵かきをすると、きれいな沖縄の海や空の絵をよく描いていたのを思い出す。「パティシエ(洋菓子職人)になりたい」。小3の時には、そんな夢を打ち明けられた。

拡大する写真・図版栗原心愛さんが通っていた沖縄県糸満市の小学校前の歩道。友人とこの道を通って登下校していたという=2020年1月11日、沖縄県糸満市、松本江里加撮影

 こうした暮らしのなかに、後に心愛さんに暴行を加え、死亡させた罪に問われる父親の勇一郎被告(42)=傷害致死罪などで起訴=の姿はなかった。

 心愛さんは両親の話は避けたがった。小1の時に同じクラスだった女子児童(11)は「うちも離婚しているんだよ」と話しかけた時に、心愛さんが気まずそうに押し黙ったのを覚えている。「話したくないのかな」と思い、それからは聞くのをやめた。

 仕事を辞めさせ、携帯電話をチ…

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

有料会員限定記事こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

980円で月300本まで2種類の会員記事を読めるシンプルコースのお申し込みはこちら