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 3月20日朝、たまたまその地下鉄に乗った人、助けようとした人、駅で働いていた人――。計6千人以上が被害を受けた1995年の地下鉄サリン事件から、25年がたった。20日、東京メトロ・霞ケ関駅で駅員たちが黙禱(もくとう)。この駅で勤務し、事件で亡くなった高橋一正さん(当時50)の妻、シズヱさん(73)が献花をした。「姿形はなくてもずっと主人と一緒に行動してきた」と声を詰まらせた。被害者の会の代表として「突っ走ってきた」歳月をふり返り、「疲れも出てきたので、少しゆっくりしたい」と話した。

拡大する写真・図版花束を手向けに霞ケ関駅を訪れた高橋シズヱさん=2020年3月20日午前9時54分、東京都千代田区、鬼室黎撮影

 シズヱさんの長女、美雪さん(48)は、母が献花をして報道陣とその場を離れると、献花台に近づき、そっと手を合わせた。被害者の先頭に立って発言してきた母とは「真逆に」過ごしてきた。事件のことを知りたいとも思わなかった。「私には、ただ父がいなくなったことしかありません」

 父は霞ケ関駅の助役で、あの日は夜勤明けだった。猛毒サリン入りの包みを、それとは知らずに片付けて倒れ、助からなかった。

 美雪さんは、作業療法士として働き始めて1年目の23歳だった。1週間だけ休み、ただ、黙々と働いた。「父はもともと勤務が不規則で、いないことも多かった。それがずっと続いている感じ。よくわからなかったですね」

 やがて母は「地下鉄サリン事件被害者の会」代表世話人になった。家での取材もあったが、自分も弟たちもそこに出て行かなかった。父の話もしなかった。

 「起きたことを受け入れられていなかったし、触れられたくなかった。それぞれが父を思いながら、別々に日々を過ごしている感じでした」

 さりげなく声をかけてくれる職場の人や友人に感謝しながらも、「話したって心が晴れるわけじゃない」と考えていたという。

 ただ、両親は仲が良かったから母は寂しいだろうと思い、一緒に旅行をするようになった。観劇も再開した。ともにミュージカルが好き。母は女性が闘って道を切り開く物語が、美雪さんはその手の話は苦手で、ハッピーエンドの話が好きだ。

 事件7年後。被害者の会の記者会見で、美雪さんは初めて受付を手伝った。話すことはできないが、受付ならば……。

 一方、シズヱさんは子どもたち…

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