[PR]

 間久部緑郎はそっぽをむき、正人は黙ってうつむいている。猿田博士たちが「む?」と顔を見合わせる。

 三田村要造が「うぅ。そして……」とまた話し始めた。一同は再び三田村要造の声に耳を傾け始めた……。

 

 

 国内は不景気だったが、上海に居を構える三田村興産の経営は、引き続き順調だった。中国人マフィアに、日本の軍人に、欧米の商人に、各国のスパイ……魑魅魍魎(ちみもうりょう)と渡り合う大陸商売は、危険と隣合わせだ。何かあるたび上海の日本人会で団結し、解決した。

 こうしてぼくの四十代は、仕事と子育てで眠る間もなく終わった。努力の甲斐(かい)あり、上海支店は父率いる東京本社を飲みこむ勢いで巨大化した。

 東京に戻ると、下町の本所深川にある田辺家で、保の家族と牛鍋の食卓を囲んだりした。奥さんの文壇仲間の岡本かの子ちゃん、高村光太郎くん、室生犀星くんたちがいて、彼らはだいたい何を言ってるのかわからないのだが、言葉が空からキラキラ降るようで、聞けども聞けども飽きなかった。無政府主義者(アナーキスト)の大杉栄くんと、その恋人で、平塚さんや賛美歌さんから「青鞜」を継いだ詩人の伊藤野枝ちゃんとも、よく会った。ぼくは大杉くんと殊(こと)に気が合った。大(おお)の字、三(さん)の字と呼び合うほど仲良くなり、一度大の字の仲間が「こいつはブルヂョアジー、敵だ!」とぼくを糾弾したときには、大の字は「いやいや、世界を股にかける企業っちゅうのは、日本という国家の中にある、独立した共同体みたいなもんだ。たとえ国家が滅びても、別の土地に根を下ろし生き残るはず。そう思うと、ある意味アナーキーで自由な存在じゃないか? 俺は、三の字の優しい笑顔の陰に、ニヒリスティックな精神の爆発を感じ、痺(しび)れてるんだぜぇ」と謎めいたことをまくしたてて庇(かば)い、その隣で野枝ちゃんも「そう、そうさねぇ!」と持参の三味線をかき鳴らしてくれた。

 田辺家の上の子は人懐っこく、…

この記事は有料会員記事有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

この記事は有料会員記事有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

この記事は有料会員記事有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。

この記事は有料会員記事有料会員記事です。

980円で月300本まで2種類の会員記事を読めるシンプルコースのお申し込みはこちら