【動画】延期が決まった東京五輪。招致から7年の動きを振り返ります
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 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が、とうとう東京五輪・パラリンピックの延期に発展した。開催決定から約7年。聖火リレーの出発を2日後に控えた土壇場での決定だった。

 「TOKYO!」 国際オリンピック委員会(IOC)のロゲ会長(当時)が2020年五輪・パラリンピックの開催都市を宣言したのは、今から7年前。13年9月7日、アルゼンチン・ブエノスアイレスでのIOC総会だった。

 ブエノスアイレスで東京の招致チームは、その2年半前に起きた東日本大震災による福島第一原発事故の影響に苦しんでいた。世界のメディアの多くや開催都市を選ぶ投票権を持つIOC委員から、安全性を危惧する声が上がった。

 しかし現地入りした安倍晋三首相は「(汚染水は)アンダーコントロール」と宣言。東京はライバル都市だったマドリード、イスタンブールを大きく引き離し、招致を勝ち取った。滝川クリステルさんが演説で語った「お・も・て・な・し」はその年の流行語大賞に選ばれた。

 日本はお祝いムードに包まれた。政府は五輪・パラリンピック担当大臣を専任化して、国を挙げて支える体制を築いた。

 ところがほどなく問題点も露呈する。イラク出身の建築家(故人)がデザインを手がけた新国立競技場の建設計画は、膨らむ一方の総工費などをめぐって紛糾し、いったん白紙に。大会エンブレムにはデザイナーの盗作疑惑が持ち上がり、こちらも振り出しに戻った。

 結局、国立競技場はコンペをし直し、隈研吾氏のチームが提案した「木と緑のスタジアム」を採用。エンブレムは江戸時代に流行した市松模様をコンセプトにした新デザインに決め直した。

 開催都市に競技を提案する権利が初めて与えられた東京では、史上最多の33競技がリスト入りした。日本のお家芸である野球・ソフトボールは3大会ぶりに復帰し、若者に人気のあるスケートボード、スポーツクライミング、サーフィンなどが初めて五輪の仲間入りを果たした。卓球の石川佳純、競泳の瀬戸大也、柔道の大野将平ら前回リオデジャネイロ五輪のメダリストを始め、すでに多くの選手が東京五輪の出場内定を決めていた。

 東京の夏の暑さが問題になり、開催前年の19年になってマラソン会場が急きょ札幌に移転される騒動もあったが、この頃には競技会場の多くが完成。19年11月末に完成した国立競技場では20年の元日、サッカー天皇杯の決勝が行われた。

 いったいどれぐらいの人が集まるのかと一部で懸念の声も上がっていたボランティアも、募集定員の8万人を大きく上回る18万人以上の応募があり、説明会や研修が進んでいた。

 しかし――。五輪イヤーが幕開けした直後の20年1月上旬、中国・武漢で増えていた肺炎患者から、新型のコロナウイルスが検出された。ウイルスは日本に、そして世界へと広がった。海外から中止や延期を求める声が日増しに高まり、アテネで3月19日に予定されていた東京への聖火引き継ぎ式は大幅に縮小された。

 そして24日、安倍晋三首相はIOCのバッハ会長との電話協議で「1年程度の延期」を提案。バッハ会長は「100%同意する」と応じた。26日の福島を皮切りに7月24日の五輪開幕日まで日本全国を巡る予定だった聖火リレーの実施見送りも決まった。近代五輪史上初めての「延期」が決まった夜だった。(平井隆介