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 文芸春秋が発行する日本初のスポーツ総合誌「スポーツ・グラフィック・ナンバー」(隔週発行)が26日、創刊から千号を迎えた。勝ち負けの先にある人間ドラマに迫る文章と決定的な瞬間をとらえた写真を軸にした作りで、多くの読者の心をつかんできた。

 創刊は1980年。前年の社内公募で「スポーツ総合誌を」という意見が寄せられたのがきっかけだった。創刊号には、山際淳司さんが79年の日本シリーズ第7戦の九回裏を描いたドキュメント「江夏の21球」を掲載。スポーツノンフィクションの金字塔とされる作品だ。ただ、その後は必ずしも売れ行きは伸びず、8号のモスクワ五輪特集は日本選手団のボイコットの影響が直撃した。

 起死回生となったのが、80年の10号「SOS! 長島茂雄へラブコールを!」だった。前年のリーグ5位に続き、低迷するプロ野球巨人の長嶋監督への批判が社会に渦巻く中、あえて擁護する論調がうけ、「3時間で完売した」との伝説が残るほど売れた。表紙は鬼の形相で空振りする現役時代のミスターで、スポーツ紙ではボツ写真だったという逸話もある。

 100号までは、スポーツ選手の恋愛や結婚、当時巨人エースの江川卓さんの家造りをリポートする珍特集も目立つ。自然豊かな環境で暮らす人々を採り上げた83年の「豊かに質素生活を楽しむ」や、現上皇さまが表紙を飾った84年の「皇太子の恋」など、枠にとらわれない特集も多い。

 スポーツライティングと写真が融合する現在まで続く形ができたのは80年代後半から。F1や米プロバスケットボールNBA、大相撲の若貴ブーム、サッカー日本代表がワールドカップ(W杯)出場を目前で逃した93年の「ドーハの悲劇」、野茂英雄投手が大リーグでトルネード旋風を起こした95年と、国内がスポーツに沸いた時代と重なる。80年代半ばから原稿を寄せてきたノンフィクション作家の後藤正治さん(73)は「作家の持ち味を生かしつつ、当時はまだ存在しなかったスポーツノンフィクションというジャンルを確立させた」と話す。

 サッカー日本代表が初めてW杯に出場した98年には、大会特集号で過去最高の約60万部を発行した。その頃、スポーツ総合誌の創刊も相次ぐが、スポーツ雑誌全体の発行部数は徐々に減っていく。出版科学研究所によると、推定発行部数(別冊なども含む)は97年のピーク時には月刊誌と週刊誌で計1億4297万冊だったが、2019年にはその3割以下の計4004万冊となった。

 18年から13代目の編集長を…

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