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ゴルバチョフはいま③

 1992年4月に広島でゴルバチョフ夫妻を案内した当時の広島市長、平岡敬(たかし)(92)はその後、「希望のヒロシマ」(岩波新書)を著し、今も世界のヒバクシャ支援にかかわる。

拡大する写真・図版ゴルバチョフ財団に姿を見せたゴルバチョフ。遺影はライサ夫人=昨年12月3日、モスクワ、飯塚悟撮影

 平岡が放射線の恐怖について様々な場で語るとき、よく取り上げる2人がいる。広島で2歳の時に被爆して10年後に白血病で亡くなり、広島平和記念公園の「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子(さだこ)と、ゴルバチョフの外遊にも随行し、ソ連のイメージを変えた夫人のライサだ。

核実験場から150キロ

 ライサは、ロシア南部アルタイ地方のルプツォフスクで32年に生まれた。50年にモスクワ大学に入るまでここで育った。旧ソ連カザフスタンのセミパラチンスク核実験場から150キロほどしか離れていない。49年8月、ソ連最初の原爆はここで実験され、冷戦が終わる89年までに実験は計456回を数えた。カザフスタン政府の資料では、核実験の被害者は約130万人とされ、150キロ圏内には地表や空中での核実験で放射性降下物が住民に降りそそいだ。

拡大する写真・図版皇居で天皇、皇后両陛下の出迎えを受けるゴルバチョフ大統領夫妻=1991年4月16日

 これまでセミパラチンスクに17回、チェルノブイリも2回訪れている平岡は、ライサが99年、急性白血病で67年の生涯を閉じたことに胸を痛めている。核実験と無縁には思えない。当時、ロシアのメディアでは実際、核実験場の放射能が原因ではないかとの報道もあった。もしそうなら、米ソの核軍拡競争に幕を引いた最大の功績者が、核軍拡競争の犠牲で最愛の人を失ったことになる。

 ゴルバチョフ本人に聞いてみた。

 可能性のある原因として医師が…

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