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 大阪万博が開幕して約3週間後、大阪市の地下鉄工事現場で死者79人を数えた「天六ガス爆発事故」が起きた。8日で事故から50年。事故の遺族と刑事責任を問われた元大阪市職員が思いを語った。

 「平和な夕暮の町を一瞬にして焦熱地獄と化し」。日本一長いとされる大阪の天神橋筋商店街と都島通の交差点から東へ徒歩5分。国分寺公園(大阪市北区)には、こう刻まれた慰霊碑が立つ。

拡大する写真・図版天六ガス爆発事故直後の坪井伸夫さんの自宅前。翌日の朝日新聞朝刊に掲載された=1970年4月8日、大阪市大淀区国分寺町(現・北区国分寺1丁目)

 事故翌日、朝日新聞に掲載された1枚の写真がある。爆撃後のように白煙が上がる路上で、負傷者らがうずくまる。その写真は、坪井伸夫さん(64)の自宅前で撮影されたものだ。

 あの日。家に入ろうと背を向け…

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