【動画】トヨタの未来都市、その中身に迫る=矢吹孝文撮影
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トヨタの未来都市②(全5回)

 トヨタ自動車の豊田章男社長が、静岡県裾野市につくる「Woven(ウーブン) City(シティ)」という未来都市の構想を初めて口にしたのは、工場従業員との対話の場だったという。

拡大する写真・図版トヨタ自動車が発表した「Woven City」の完成予想図。「eパレット」が街中で移動店舗として使われている=トヨタ自動車ホームページより

 2018年7月中旬、平日の午後。トヨタの子会社「トヨタ自動車東日本」の東富士工場にある作業場で、豊田社長は従業員に囲まれていた。工場閉鎖を公表する数日前のことだ。

拡大する写真・図版中央右下の三角形の敷地が東富士工場。左上にはトヨタ東富士研究所のサーキットコースがある。中央上下に東名高速、左上には新東名高速が走る=2012年12月、国土地理院のウェブサイトより(複数の写真を結合しています)

 当時、工場の従業員は約1100人。静岡県から、多くの人が宮城県や岩手県の工場に異動することになる。社長に向かい、若い男性従業員が「東北で車をつくりたい気持ちはあるが、家族のことを考えて辞めざるを得ない人もいる。そういう人のことを考えると、喜んで東北には行けない」と訴えた。19年末まで東富士の開発部門におり、現在は宮城県大衡村の本社で勤務するトヨタ東日本の北條佑治・広報部長は「当時の工場の雰囲気をよく表している言葉だ」と振り返る。

 従業員の「ここをどうしようとしているのか」という問いに、豊田氏は「これから50年の自動車づくりに貢献する聖地、自動運転の実証実験、『コネクテッド・シティ』に変革させようと考えている」と応じた。

 1年半後、豊田氏はラスベガスでの発表で「工場を閉鎖しないといけなくなった時、富士山のふもとの跡地ですべきことを考え、これが頭に浮かんだ」と説明している。

代表格はセンチュリー

 東富士工場の開設は、トヨタ東日本が前身の関東自動車工業だった1967年。目の前を走る東名高速の一部開通を翌年に控えてカローラが爆発的に売れるなど、日本はモータリゼーションの時代を迎えていた。

拡大する写真・図版東富士工場が開業した直後の静岡県裾野市。工場や研究所の建物が少ない=1967年10月、国土地理院ウェブサイトより

 生産する車の代表格は、トヨタ…

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