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岐路に立つ長崎・石木ダム③

 国が石木(いしき)ダム(長崎県川棚(かわたな)町)の全体計画を認可した1975年から45年。まだ本体着工にさえ入れずにいる最大の原因が、長崎県による強制測量だ。

拡大する写真・図版水没予定地の集落を離れたが、いまも荒れた道の先にある畑に通う男性=2020年3月19日、長崎県川棚町、吉本美奈子撮影

 1982年5月21日、静かな里山が悲鳴と怒号に包まれた。川原(こうばる)集落と上流の木場集落を中心とした約250人と、機動隊140人が衝突したのだ。「ダムの必要性から議論したい」とする住民側に対し、県は「測量調査に同意を!」と譲らず、しびれを切らした県がダム予定地に機動隊を導入、調査を強行した。

 当時の8ミリフィルムを見た。巨漢の隊員が住民を抱えてゴボウ抜きにすると、住民がすぐ後ろに戻って座り込む。小中学生37人も「帰れ」と声を上げるが、抱えられ、大泣きしながら排除される――。そんな光景が延べ7日間続いた。これが決定的な亀裂を生み、知事の高田勇(たかだいさむ)(故人)はその後12年間、反対住民と会うことすらできなかった。他方、圧力と執拗(しつよう)な切り崩しによって、対象となる3集落67世帯のうち、川原集落の13世帯を除く8割の住民が2005年度までに故郷を離れた。

 72年着手の予備調査から4代…

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