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 タレントの志村けんさん(70)が先月、新型コロナウイルスで亡くなったことは世界各国で報道されました。特に台湾では、蔡英文(ツァイ・インウェン)総統がツイッターに「台湾人にたくさんの笑いと元気を届けてくれてありがとうございました」と投稿するなど、追悼の声が相次ぎました。志村さんと台湾にはどんなゆかりがあり、なぜ人々に愛されたのでしょうか。台湾・実践大学応用日本語学科助理教授の蔡亦竹(ツァイ・イチュー)さん(45)に聞きました。

――志村さんが亡くなったことは台湾のニュースでも速報で伝えられたそうですね。

 はい、台湾と中国との微妙な関係に加え、今回のウイルスが中国から広がったという経緯もあり、志村さんの入院が報道された当初からSNSでは中国への恨み節をつぶやく人が多くいました。もともとダイヤモンド・プリンセス号に多くの台湾人が乗っていたことや、2000年代のSARS(重症急性呼吸器症候群)の苦しい体験があったので、台湾はウイルスに対する関心が高かったのです。志村さんの訃報(ふほう)も芸能ニュースではなく海外からの重大ニュースという扱いでした。日本との関係が深い私も、まさか有名人までがと驚きました。

――志村さんはいつから台湾で知られていたのですか。

 1980年代、台湾でも一家に1台ビデオデッキが普及しました。当時は著作権の意識が低く、みんなが平気で海賊版のレンタルビデオを見ていました。日本に住んでいる人がビデオに録画して台湾に送ってきて、字幕を付けて貸し出すわけです。志村さんをはじめ、日本のお笑いやプロレス、それから言いにくいですが、アダルトビデオが人気でした。私はちょうど小学生で、親がビンロウ(ヤシ科の植物)の屋台をやっていまして、場所の貸主がレンタルビデオ店だったんですね。その店の棚の3分の2くらいが日本関連のビデオでした。

――テレビ放送ではなかったのですか。

「親日」とは程遠かったかつての台湾。近くて遠い日本を垣間見させたのが志村さんでした。

 当時の台湾では、20年近くに…

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