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 BCGワクチンが新型コロナウイルス感染症の予防に役立つかもしれないという仮説があります。BCGワクチンは他のワクチンと違って接種方法が独特で、「ハンコ注射」と言えばわかってもらえると思います。普通の注射針ではなく、9つの針がついた「管針」でハンコを押すように接種します。日本では定期接種なので乳児期に全員が接種の対象になっています。腕にBCGの跡が残っている方もいらっしゃるでしょう。

 BCGワクチンの本来の目的は結核の予防で、とくに小児期の重篤な結核に対して有効性が高いとされます。ただ、麻疹や風疹のワクチンとは違って、BCGワクチンが定期接種になっていない国も多くあります。結核に感染している人が少ない地域ではBCGワクチンの必要性が小さいからです。世界的にみて、日本は結核の中等度の蔓延(まんえん)国です。

 結核の予防以外にも、BCGワクチンが効く(かもしれない)病気はいろいろあります。有名なところでは膀胱(ぼうこう)がんに対してBCGの注入療法が行われています。あるいは、花粉症などのアレルギー疾患や結核以外の感染症にも予防的に働くという研究もあります。歴史の長いワクチンで知見が積み重なっていることに加え、生きた菌を使用しており、精製されたワクチンと比べて免疫系の反応が複雑であることが、こうしたさまざまな仮説が生み出される原因だと思います。

 さて、新型コロナウイルス感染症とBCGワクチンとの関係です。世界各国の新型コロナの感染の広がりのスピードは、国によって大きく違います。アメリカ合衆国、イタリア、スペインでは非常に早く感染が広がり、死亡者も多い一方で、日本や韓国、シンガポールでは比較的感染者数も死亡者数も少ない傾向にあります。なぜか? その理由の一つがBCGワクチンではないか、という仮説が提唱されたのです。

 すでに述べたように、BCGワクチンの必要性はその地域の結核の流行の程度によります。アメリカ合衆国やイタリアではBCGワクチンが定期接種だったことはなく、スペインでは1981年に一律の接種が中止されています。これらの国では新型コロナウイルス感染症の勢いが強く、BCGワクチンが定期接種されている日本や韓国、シンガポールでは勢いが弱いです。BCGワクチン接種が免疫系になんらかの影響を与え、新型コロナウイルスに対する防御力を強くしている可能性があります。

 きわめて興味深い仮説ですが、これらの国々ではBCGワクチン接種以外にもさまざまな要因が異なります。人種・民族の遺伝的な差異、気候、感染防御目的のマスク着用の習慣、握手やハグといったあいさつの習慣などなど。流行しているウイルスのタイプが異なっているかもしれません。BCGワクチン接種以外の要因が似ている国があれば参考になりますが、そうした国にスペインとポルトガルがあります。ポルトガルでは現在でもBCGワクチン接種を行っていて、スペインと比較すると新型コロナの流行は穏やかです。これはBCG仮説を支持する証拠です。

 一方でBCG仮説に否定的な証拠もあります。フランスは2007年という比較的最近までBCGワクチン接種を行ってきました。しかし、ご承知の通り流行は激しいです。ヨーロッパで最初に流行の中心地となった北イタリアに地理的に近いがゆえにフランスの流行も激しいのかもしれませんが、それを言うならスペインとポルトガルの違いも地理的な理由かもしれません。BCG仮説を支持する証拠も、否定的な証拠もあるのです。

 決着をつける手段の一つは、BCGを接種していない人を多く集めて、ランダムにBCG接種群と対照群に振り分け、新型コロナにどれぐらい感染するのか、重症化はどれぐらいなのかを調べることです。ランダムに振り分けることでBCG接種以外の要因を均等にして、BCG接種の効果だけを評価できます。こうしたランダム化比較試験はすでにオランダやオーストラリアなどで計画されています。

 現時点では、新型コロナが怖いからとBCGワクチンを接種しに行くことは、おすすめしません。まだ研究段階で効果があるかははっきりしません。ワクチン接種はネットを通じて行うわけにいかないので、外出する必要もあります。BCGワクチンを接種しに出かけるぐらいなら家にいましょう。それに、急にはワクチンの増産はできません。ワクチンが不足して本来必要な乳児に接種できないなんてことになると本末転倒です。

 ※参考:新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対するBCGワクチンの効果に関する見解(日本ワクチン学会)http://www.jsvac.jp/pdfs/kenkai.pdf別ウインドウで開きます

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酒井健司

酒井健司(さかい・けんじ) 内科医

1971年、福岡県生まれ。1996年九州大学医学部卒。九州大学第一内科入局。福岡市内の一般病院に内科医として勤務。趣味は読書と釣り。医療は奥が深いです。教科書や医学雑誌には、ちょっとした患者さんの疑問や不満などは書いていません。どうか教えてください。みなさんと一緒に考えるのが、このコラムの狙いです。