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 一九三一年の夏、記憶のないぼくにとっては見知らぬ女性であるところの、三田村夕顔が、死んだ。ぼくは長春で仕事中、容体悪化の報を聞き、上海に帰ろうと南満州鉄道に飛び乗ったものの、いざ三田村家の前に着くと臆して入れず、玄関先の庭石に腰掛けて、妻が息を引き取るのをただじーっと待った。夏の日差しが真っ黒に濃い影を作り、蟬(せみ)がミンミン鳴いていた。夕刻、扉が開き、長男の硝子(がらす)が顔を出し、ぼくをみつけて仰天した。ついで言葉にならぬ叫び声を上げて殴りかかってきた。どうやら、最期まで夫のぼくに会いたがっていたのに、と言ってるらしい。

 家に入ると、客間の天井から釣り下がる金色の鳥カゴが、風もないのに揺れていた。小鳥が入っているかと覗(のぞ)いたが、空だった。ぼくは正直少しぞっとした。死者に呼ばれたようで、嫌だった。

 

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