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 古代、日本海側には広大な「こし(高志、越など)の国」があった。このうち今の福井県にあたる地域にはある天皇が長く暮らしたとされ、大陸や朝鮮半島との交流の玄関口でもあった。それから約1500年。数多く残る伝説・伝承をはじめとする歴史や文化は地域の資源になった。

 語り継がれているのは、日本書紀によると第26代の継体天皇。5世紀に今の滋賀県で生まれたが幼少期に父を亡くし、母の実家がある福井に戻ったとされる。

 当時の名は男大迹王(おおどのおう)。前の武烈天皇に後継ぎがおらず、第15代応神天皇の5代あとの子孫という男大迹王に白羽の矢が立つ。しかし507年という即位の時点で57歳。大和に入ったのはその約20年後という謎多き天皇として知られる。

拡大する写真・図版世阿弥作の能「花筐(はながたみ)」は味真野を舞台に男大迹王と愛する女性の恋を描く。その2人の像が越前市の庭園に立っている=2020年3月7日、福井県越前市余川町

 男大迹王が戻ったのは今の福井県坂井市と言われるが、越前市と鯖江市、越前町を区域とする丹南ケーブルテレビの林良宗(りょうしゅう)・統括部長(49)は「越前市の味真野地区にも住まいである宮居(みやい)があったと伝わっています」と語る。

 この3市町を中心とする丹南地方は、狭い範囲に伝統産業が集積。しかも古代の伝承を併せ持っているところに特徴がある。

 例えば越前漆器は、男大迹王が今の鯖江市で冠を壊した時に漆職人が直したことがきっかけで盛んになったと言い伝えられている。越前和紙も同じ時代、今の越前市を流れる川の上流に姫が現れて紙すきの技術を教えてくれたのが始まり――と。

 丹南ケーブルテレビはこうした地域の歴史や文化に着目。2005~06年に「こしの都千五百年物語シリーズ」を放映し、男大迹王の足跡や伝統産業のルーツなどをたどった。

 その過程で改めて浮かんだのが朝鮮半島との結びつきだ。紙すきを伝授したという姫「川上御前」も渡来人だったとみられ、この地方に養蚕と絹織りの技術を伝えたのも百済の織姫たちだったと伝わる。継体天皇自身、即位後の百済との関係の深さが知られている。

 そこで市民に呼びかけ、百済の…

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