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 大関朝乃山ら角界に多くの力士を送り込んだ近大相撲部の新監督に、OBの阿部智志氏(41)が1日付で就いた。1月に急逝した伊東勝人監督(享年55)の後任で、本格的な指導に携わるのは10年以上のブランクがあるが、「伊東監督の『考える相撲』を引き継ぐ」と、創部95年の名門を継承した。

 監督就任を打診されたのは伊東監督の悲報から約1カ月後。OB会から「大学に推薦したい」と連絡が入った。

 学生時代の実績は申し分ない。1997年に入学すると、西日本学生個人体重別選手権を4連覇。卒業後は近大職員に転身した。人事畑を歩みつつ、大学とOB会の橋渡し役を担った。部の稽古場に顔を出し、試合で審判を務めることもあった。

 生前の伊東監督に「次(の監督)はお前や」と言われたこともある。周囲から「お前しかおらん」という声が上がるのは自然ともいえる流れだった。

 ただ、学生横綱を何人も生むなど、常勝が期待される名門を率いる重さも感じていた。

 「自分は大学職員以上でも以下でもないと思っていたし、監督になるイメージを抱いたことはなかった。覚悟をしていないわけではなかったが、即答はできなかった」。打診された当時、大学での肩書は人事課長代理。本格的な指導も20代の頃、近大の付属高で監督を約3年半を務めただけだった。

 だが、「師匠」を突然失った現役部員の姿に腹が固まった。

 「誰かがやらないといけない」

 山形・酒田工高から入学した当時、175センチ、90キロと小柄。同じく小兵だった伊東監督から愛情を注がれた。合宿でちゃんこを囲む際は監督の真横が指定席。器が空くたび、「体、でかくせんと」と、食事をよそおうとする監督の手が伸びてきた。食後の「一杯」も日常茶飯事で、「ちゃんこを食べた後にラーメン屋。きついけど、かわいがってもらった」と懐かしむ。

 まわしを締めた伊東監督に、直接胸を借りた世代の一人。高校までは得意の左差しにこだわっていたが、「小さいなりの戦い方がある」と、右の使い方を教わった。たたき込まれたのは「考える相撲」。自分と同じように、名将を慕って集った後輩たちにそれを伝えるつもりだ。

 「(大関に昇進した)朝乃山にしても、(1月の初場所で幕尻優勝したOBの)徳勝龍にしても、日頃から考えて相撲を取っていないと、ワンチャンスをものにはできなかったと思う。そこは引き継ぐべきだ」

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、部は休止状態。困難な状況下での船出となったが、掲げるのは全国学生選手権の団体優勝、日本一にほかならない。

 同じ門をたたいた約30人の「弟弟子」を率いる。「プレッシャーがないといえばうそになるけど、伊東監督には『見守っていて下さい』とだけ、伝えたい」(河野光汰)