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 グラウンドの外周にあるソメイヨシノは、まるでわき立つ雲のようにこんもりと盛りを迎えていた。4月2日。磐城(福島)はおよそ1カ月ぶりに全体練習を再開した。

 「切り替えられたかと言われると……。100%ではありません。でも、新たなチームで夏の甲子園への切符をつかみ取り、たくさんの方々に恩返ししたい」

 キャプテンで捕手の岩間涼星(3年)は決意とともに、まだ整理仕切れていない心のうちも正直に明かした。無理もない。喜び、悲しみ、戸惑い。1月下旬からの約2カ月間、磐城は選手も指導者も、あらゆる感情を経験したからだ。

 1月24日、21世紀枠で第92回選抜高校野球大会の出場校に選ばれた。実に46年ぶりの「春」。昨秋、地元が台風19号の被害に遭った際のボランティア活動が評価された。戦績も東北大会8強と申し分なかった。

 しかし、新型コロナウイルスの感染拡大で状況は暗転する。政府の休校要請を受けて3月3日を最後に全体練習ができなくなり、自主練習となった。日本高校野球連盟など選抜大会の主催者は無観客での開催を模索したが、感染の収束は見通せず、同11日、大会中止が決まった。

 沈痛な表情の部員たちを前に、監督の木村保(49)はどんな言葉をかけていいのか悩んだ。自分も悔しいから、「夏こそ」なんて簡単には言えない。もう一つ、その場で話せなかったことがある。異動だ。

 「彼らに、すべての苦しみを残して去っていいのか。東日本大震災のときは7月まで人事が凍結されたんです。同じようにならないのか。夏までは土日だけでも磐城を指導できないか、とか、考えました」

 福島商への転勤が固まっていた。後任も木村と同じく磐城OBで、いわき光洋監督の渡辺純(38)へと道筋がついていた。渡辺は2017年の夏、聖光学院をあと一歩まで追い詰め、福島大会準優勝の実績がある。選抜大会さえあれば、安心して託せたはずだった。後ろ髪を引かれる思いで、3月23日、木村は異動を部員たちに伝えた。

 後を継ぐ渡辺も、心境は複雑だった。

 「保先生が甲子園に行くまでのチームにされて。選抜は日程通りなら、1回戦で終わっても優勝しても3月で終わったじゃないですか。4月からうまく引き継いでいけたら、と思ってたんです。でも、中止になって。11年のように転勤が延びないかな、と」

 いわき光洋では、まず部長として野球部に携わり、監督へ転じた。部の雰囲気、生徒の個性を把握する時間があった。

 磐城は、最初から監督を任される初めての学校になる。まして、部員たちは過酷な体験をしたばかりだ。自分に何を求めているのか。自分にできることはなにか――。

 「今までやったことはなかったんですが、面談をしました。柄にもなくね。もう、兄にはなれない年齢だと思いますが、どういう関わり方をしたほうがいいか。生徒に聞くしかない」

 一人ひとりの言葉に耳を傾けた。練習中も、まず話す。エースの沖政宗(3年)は、そんな渡辺の心遣いがうれしかった。「僕はしつこく話しかけるタイプなんで……。純先生から話しかけてもらって、コミュニケーションがとりやすかったです。純先生は投手出身なので、自分からアドバイスをもらって、引き出しを増やしていきたい」

 全国各地で春の公式戦の中止が続いている。緊急事態宣言が全国に広がり、磐城も再び部としての活動ができなくなった。それでも、前を向く。ユニホームの胸につづられた「IWAKI」と同じ深い青色の空と立ち上る入道雲の下、甲子園に立つ日を信じて。=敬称略(山下弘展)