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 アートが「わからない」問題からフェミニズム、サブカルチャーへの愛と別れまで。アポなし、自腹で美術展を訪ねたエッセー集「山内マリコの美術館は一人で行く派展 ART COLUMN EXHIBITION 2013―2019」(東京ニュース通信社発行、講談社発売、本体1600円)を3月に出版した小説家・エッセイストの山内マリコさんに、アート鑑賞にまつわるあれこれを聞いた。

拡大する写真・図版「山内マリコの美術館は一人で行く派展 ARTCOLUMN EXHIBITION 2013-2019」

 ――東京ニュース通信社のテレビ情報誌「テレビブロス」で、2013~18年に連載されたコラムをまとめた新著。資生堂ギャラリーの「李傑(リーキット)展」では、展示を見た当初「なにを表現しようとしているのかわからない」と焦り、後から良さに気付くというエピソードがあります

 美術館に行き始めた芸大生の頃は「わからない」とは言えなかった。でも、何となく通っているうちに「これほしい、買いたい」という物欲みたいな気持ちを意識するようになると、自分が本当に好きなものがわかってきたし、わからないものはしょうがないと思えるようになった。買い物と同じで、1点でも素敵と思える作品があればまあ、いいもの見たなって感じかな。

拡大する写真・図版2015年に資生堂ギャラリー(東京)で開かれた「李傑展 The Voice Behind Me」の展示風景=シュウゴアーツ提供

 ――アートに正解はない、と思いますか

 小説を書く人間としては、こういう風に感じてほしいという狙いは作家には絶対あると思う。でも、それを言い当てられたら正解ってわけでもない。作った段階での自分の気持ちは完成した瞬間に昇華してるものだから、そんなに大きな意味はないのかも。

 2月に、「ハマスホイとデンマーク絵画」展に行きました。チラシなんかだと、ハマスホイって素敵でミステリアスなイメージ。だけど、妻の後ろ姿ばかり描いたのは、率直に言って彼女があんまり美人じゃなかったからだと思う。家族の逸話を読み、「色数が少ないのは母親に抑圧されていたからでは?」とか、一人で勝手に、探偵みたいに考えるのが好き。

 ――コラムでは、画家の人柄や背景への言及も多い

 作品と作家は切り離せないと思う。(瓶の絵ばかり描いた)ジョルジョ・モランディみたいに、「この人、何者なのか結局わからん」ってこともよくあるけど。

 作品に対する感想は一つではなく、「美術手帖(てちょう)」や「芸術新潮」ならもう少しまじめな引き出しを開けた。その点、サブカル雑誌での連載だったことも大きい。タッチや技術への言及ではなく、「面白い」と思ったことを素直に書けた。

拡大する写真・図版山内マリコさん=2020年3月、東京都中央区銀座7丁目

 ――東京都美術館「バルテュス展」や、ラブドールを展示したヴァニラ画廊の「人造乙女博覧会Ⅳ」などでは、複雑な心境もつづっています

 30歳ぐらいからフェミニズムに目覚め、昔は好きだったものがダメになってきた。

 バルテュスの作品なら「深遠なエロス」といった見方が示されてきたけれど、本当にそうなんだろうかと。モノの見方も感じ方も、男性カルチャーに植え付けられたものではないかと疑うようになってからの方が、自分の目で見るのが楽しくなった。

 アートとわいせつの線引きは私…

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