拡大する写真・図版肌寒い週明けの朝、傘を差して東京・新宿の交差点を足早に渡るマスク姿の通勤客=2020年4月20日午前8時7分、東京都新宿区、伊藤進之介撮影

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 無症状でも感染が広がる新型コロナウイルスは、私たちを疑心暗鬼に陥らせている。ふくらむ相互不信にあらがうために、我々は何ができるのか。厄災後の同調圧力を寓話(ぐうわ)として描いた小説『ボラード病』などで知られる作家の吉村萬壱さんに寄稿してもらった。

よしむら・まんいち 1961年愛媛県生まれ、大阪育ち。03年「ハリガネムシ」で芥川賞。ほか「クチュクチュバーン」「出来事」など。

 新型コロナウイルスの流行により、日々緊張感が続いている。運動不足で体はだるいのに、頭の中では絶えず何かが張り詰めている。睡眠も浅く、ちょっとした物音ですぐに目覚めてしまう。するとたちまち恐ろしい予感に包まれて、怖くてしょうがなくなる。あるいは大切な人のことを考えた途端、涙が止まらなくなる。スーパーマーケットで誰かが咳(せき)をすると、その客がどんなに遠くにいても耳はちゃんとその咳を聞き分けて、咄嗟(とっさ)に身構えたり、場合によってはその場から逃げ出したりもする。マスクをせずに大声で喋(しゃべ)っている人を見ると、殺意すら湧いてくる。

 そんなことが、最近当たり前の反応になってしまっている。我々の感覚は今、過度に鋭敏になっているに違いない。それはあたかも、怯(おび)えた狩猟民のようである。

拡大する写真・図版開店と同時にスーパーに入店する人たち=2020年3月26日午前10時、東京都中央区、北村玲奈撮影

 人類史において、人が他の動物に食い殺されなくなった歴史は短い。定住農耕生活の期間はここ1万年ほどに過ぎず、それ以前の何百万年はずっと狩猟採集生活であり、その間我々は禽獣(きんじゅう)との間で食うか食われるかの死闘を演じてきたはずである。そんな過酷な環境では、過剰なまでに鋭敏な感覚が相手に捕食されるか否かを分けたことだろう。被害妄想こそ、生存の武器だったのだ。我々は現在、自分や大切な人を守るために、その本能的感覚を呼び覚まそうとしているのかも知れない。

 その感覚の根底には、恐怖の感…

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