世界への義務と向き合う ハルの戦後秩序と「コロナ後」

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アメリカ総局 青山直篤
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経世彩民 青山直篤の目

 昨年12月、米南部テネシー州の山間部まで車で数時間かけ、念願のその「生誕の地」に着いた。ほかに人は全くない。入り口にあった番号に電話すると、しばらくして係員が着き、記念館のカギを開けてくれた。

 この地で生まれたのは、元米国務長官コーデル・ハル(1871~1955)。日本では、対米戦争の決断につながった強硬な対日要求「ハル・ノート」で知られる。日本人としては複雑な思いを抱いてしまう人物だ。しかし、1929年に始まった大恐慌後、保護主義に陥った30年代の米通商政策を厳しく批判した側面は知られていない。

 生家跡で何よりも驚いたのは、あまりの簡素さだ。掘っ立て小屋風の家屋と小さな井戸。ハルが生まれたのは、南北戦争の直後だ。「敗戦国」の南部で、小作人だった父が養うハル一家の貧しい暮らしがしのばれた。

 トランプ大統領が中国などとの間で、制裁関税を使った通商紛争を本格化させた2018年春、私は米国に赴任した。この間、米国が1930年代の通商政策で関税を引き上げ、世界に保護主義が連鎖した歴史から示唆を得ることがきわめて多かった。ハルの生家跡に立ち寄ったのも、こうした関心からだ。

 記念館では戦後、国際連合の…

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