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香取慎吾とゆくパラロード

 朝日新聞パラリンピック・スペシャルナビゲーターの香取慎吾さんがさまざまなパラ競技に挑戦する「慎吾とゆくパラロード」。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、今回はアスリートの声に耳を傾けてみました。パラ水泳金メダル15個の成田真由美選手(49)、パラ陸上男子100メートル(義足)アジア記録保持者の井谷俊介選手(25)とともに、現在の練習環境や大会延期について語り合いました。

紙面でも
 香取慎吾さんとパラ水泳の成田真由美選手、パラ陸上の井谷俊介選手3人の対談は、4月29日付朝刊スポーツ面の「慎吾とゆくパラロード」でも、1ページを使って紹介します。

 香取さんの目の前にあるモニター画面に、成田選手、井谷選手の顔が映し出された。

 《初めまして、ですね。僕は「ステイホーム」ということで、最近は家に閉じこもっています。アスリートの皆さんはどう過ごされてるんですか?》

 井谷選手は言った。

 《緊急事態宣言が出る前に実家のある三重に戻ってきました。家族間でも感染リスクを減らすため、ホテル暮らしを続けています。三重はまだ競技場を使えるのでスタート練習をしたり、長い距離を走ったりしています。ただ競技場もいつまで使えるか……。》

 成田選手の状況はさらに深刻だ。

 《プールが欲しいです!》

 悲痛な叫びに香取さんが反応した。

 《水泳選手は泳げないとやることが限られてきちゃいますよね。》

 成田選手はうなずいた。

 《ナショナルトレーニングセンターだけでなく、緊急事態宣言でいつも練習するプールが5月6日まで使えなくなりました。年末年始でも1週間以上休んだことはなかったのに……。それでも今は自宅でゴムチューブを引っ張ったり、車いすで2.6キロの道のりを往復したりして、筋力を維持するようにしています。》

 香取さんは改めて満足に練習できない選手のもどかしさを知った。

 《世界で感染拡大が広がり、なんとか食い止めようとみんなが努力している中、自分にできることはまずは自宅にこもって、ゆっくりすることと思って過ごしてきました。でもアスリートのみなさんは違う。本番に向けて、ゆっくりしていては取り返しのつかないことになってしまう。》

 成田選手はその怖さを口にする。

 《筋力が落ちてしまうことが一番怖い。練習再開後に元の筋力に戻すためにどれぐらいの時間がかかるのか、ということを考えてしまいがち。ただ、そんなことを考えていても仕方がない。トレーナーとは『今できることをしっかりやっていくしかないよね』と話し合ったところです。》

 井谷選手もうなずいた。

 《この自分の体はつらい練習をして作り上げてきました。それが何もできなくなることでまたゼロに戻り、再び元に戻して、さらにレベルをあげていくのは強い気持ちと時間が必要です。また振り出しから、と考えただけでも不安を覚えます。》

香取さんが選手に聞きたかったこと

 多くのスポーツ施設が閉鎖され、すべての選手が練習拠点の確保に苦労している。パラリンピックは来年8月開幕に延期された。

 香取さんには、2人にどうしても聞きたいことがあった。目標としていたパラ大会の延期を、選手たちはどう受け止めたのか、ということだった。

 《東京パラリンピックの延期が決まった時の心境は?》

 2人の思いは対照的だった。

 《こんな苦しい練習をもう1年しないといけないのかと思いました。》

 そう打ち明けたのは成田選手だ。1996年アトランタ大会に初出場し、これまで5大会に出場。計15個の金メダルを獲得したレジェンドは今年で50歳を迎える。

 《通常開催であれば開幕直後に誕生日を迎えるはずでした。だから49歳で開会式を迎えて50歳で現役を終えようと思っていたんです。それが、もう1年って。来年の今頃はこんなきつい練習をしていないよねと思いながら、残された日数を頑張ってきたんです。ただ、やめたら気持ちは楽になったかもしれないけど、目の前にチャレンジするものがあるのに、しないで終わる選択肢はなかった。気持ちは切り替わりました。》

 一方、交通事故で右足を失った井谷選手は競技歴は3年。25歳の若さを武器にパラ大会初出場を目指している。

 《僕は延期を前向きにとらえました。20年の本番に向けて、技術を高める、課題を克服するための練習時間が全然足りないと焦りを感じていたんです。もちろん今年最高のパフォーマンスを発揮することにこだわってきたので、延期が決まった時は多少がっかりしました。でも、もう1年練習できる、準備期間が増えたことでさらに成長できると信じています。》

 香取さんは逆境を力に変えようとする強さを、2人の言葉に感じとった。

 《感染を広げないために、じっとしていることが求められているけど、みなさんはのんびりはしていられない。気持ちも切らしてはいけない。アスリートではない僕だって、今の状況下で懸命に上を向こうとしているけど、気落ちすることばかりで、心が小さくなりがちです。今を乗り切ろうと限られた時間を大切に過ごせている2人はすごい。でも試合や選考会がいつあるか分からない中で気持ちを維持するのは大変じゃないかな?》

それでも走り、泳ぐわけ

 その問いかけに2人がうなずいた。

 井谷選手が口を開いた。

 《練習をしていても何のための練習かとモヤモヤすることがあります。》

 一呼吸置いて、続けた。

 《そんな時はなぜ走るのか、なんでこの競技をしているのかと走る意味を問い返します。初心に戻れば、義足をつけて走った時の楽しかった思いが呼び起こされます。僕が走ることで、交通事故で迷惑をかけて悲しませてしまった人たちを笑顔にしたいし、自分と同じ境遇で足をなくした人を一人でも勇気づけたい。今の挑戦が何かの力になれればいいな、と思うんです。》

 成田選手も言った。

 《パラアスリートの多くは事故や病気などで体の一部の機能をなくし、落ち込み、それでも自分の障害を受け入れて、はい上がり、強い気持ちで困難に立ち向かっています。生きていく中で理不尽な出来事、自分でコントロールできないことはたくさんありますが、すべてを受け入れていかないと、前には進めません。私たちはそうやって強くなってきているんです。》

 神妙な表情で話を聞いていた香取さんが、ほほえんだ。

 《本当にすてき。みなさんほどではないかもしれないけど、僕もパラをたくさんの人に知ってもらうため、活動してきました。あと1年、半年しかないと思いながらやってきて、その時間がさらに1年増えたんです。僕の応援する気持ちはずっと変わりませんよ。どんな状況でも応援する人間がいることだけは覚えておいてくださいね。》

 2人は笑顔で応えた。

 《ありがとうございます!》

 井谷選手が切り出した。

 《さっきは練習をしていてもモヤモヤすると言ったんですけど、成田さんの話を聞いているとそんなことは言っていられません。走れている、この瞬間があるんだったら、つらい状況でもさらに努力をしていかなければと思いました。》

 息子のような存在の井谷選手に、成田選手も言葉をかけた。

 《練習できる環境があるのはいいこと。若いんだし、競技を始めて間もないのであれば、練習した分だけ強くなれる。毎日を大切に、悔いのない練習をして欲しいなと思います。》

 3人の思いは、それぞれがめざす来年のパラリンピックに向いた。香取さんは自らの思いを口にした。

 《今の状況をみんなで乗り越え、本番では笑顔で会いたいですね。》

 両選手にも本番への思いを尋ねた。

 成田選手は言った。

 《1年後は正直見えていないんですが、練習できるようになったらコーチのメニューを毎日こなしていくだけ。ただ、東京パラが終わった時に、世界中のみんなが笑顔で「自粛生活があったけど無事に終えられたね」と言える大会であって欲しいなと思います。》

 井谷選手はメダルへの思いを言葉にした。

 《来年の大会は、難局を世界中の人々の力で打ち勝って開催される舞台となります。そこでメダルをとりたい。とにかく早い終息を願っています。》

 最後に、成田選手が香取さんに語りかけた。

 《今回はテレビ会議システムを使っての対面でしたが、次は3人で会う機会をつくっていただけませんか?》

 香取さんは笑顔で返した。

 《ぜひ! 次はちゃんと顔を合わせてお話をしましょう。2人とも頑張ってください。パラ大会、パラスポーツを応援し続けています。》(榊原一生)

 成田真由美(なりた・まゆみ) 1970年、川崎市生まれ。中学生のときに脊髄(せきずい)炎のため下半身まひに。パラ水泳選手として96年アトランタ大会から08年北京大会まで4大会連続でパラリンピックに出場し、15個の金メダルを獲得。北京後に一線を退いたが、15年に現役復帰。横浜サクラ所属、日本テレビ勤務。

 井谷俊介(いたに・しゅんすけ) 1995年生まれ、三重県出身。大学2年の2016年、バイク事故で右足ひざ下を切断。17年から競技用義足での陸上を本格的に始めた。初出場した18年アジアパラ男子100メートル(義足T64)予選で11秒70のアジア記録。19年には11秒47をマークした。SMBC日興証券所属。