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 部屋の隅のアップライトピアノから軽快なジャズの音色が流れ、開け放たれた窓から吹き込む春の風がカーテンを揺らす。NPO法人「ホッとスペース中原」(川崎市中原区)が運営するデイサービスを、昼食の時間に訪ねた。20人ほどのお年寄りがゆったりと食事を楽しんでいた。

 高齢者に入浴や食事など1日過ごす場を提供するデイサービス。新型コロナウイルスの感染拡大で休止する事業所もあるが、ここでは希望者にサービスを続けている。毎日の検温、マスク、消毒、換気のほか、昼食時は利用者の間隔をあけるなど、最大限の感染防止策をとっている。

 しかし法人代表で介護福祉士の佐々木炎(ほのほ)さん(55)には悩みがあった。マスクをはずして食事をする昼食時の会話を止められないのだ。

 認知症の人も多く、「食事中に会話をしないで」という今の状況を理解してもらいにくい。さらに耳が聞こえにくい人もいて、会話は大声になり距離も近づく。感染のリスクを下げるにはどうしたらよいか。

 解決したのはピアノだ。

 週に一度、訪問介護のヘルパーに入っていた女性(46)がピアノを弾けることを知っていた佐々木さんは、女性に昼食時の演奏を提案した。

 女性はホテルやライブハウスで演奏する本職のピアニスト。感染拡大の影響で、ピアノの仕事は一切なくなっていた。有償での依頼に「ありがたいけど、この状況でそんなことしていいのかなと最初は戸惑いました」と言う。

 しかし、女性が奏でる30分間のピアノは予想を超える効果があった。

 ジャズ、賛美歌、映画音楽、童謡、歌謡曲……。幅広いジャンルの演奏に、誰もがおしゃべりをやめ、耳を傾ける。音楽に聴き入るように目を閉じて食事をかみしめる人や、「昔行った銀座のホテルを思い出した」と涙する人もいた。

 女性が映画「ティファニーで朝食を」に出てくる「ムーン・リバー」を弾いた日は、80代女性が「オードリー・ヘプバーンがきれいだった。洋画は大好きだったの」とつぶやいた。佐々木さんは驚いた。認知症で日常のコミュニケーションも難しくなっていた人がはっきり話したからだ。

 演奏を聞いて表情が一変するお年寄りに、ピアニストの女性も「今までやってきたことがこういう形で役に立ってうれしい」と話す。

 若いスタッフ向けに最近の曲も盛り込む。コロナ対策で日々緊張を強いられているスタッフにも癒やしになる。「ほぼ毎日なので、飽きないように曲調もメリハリをつけています」

 介護の現場にも社会的距離が求められる今、「介護のプロほど、接触が制限されることで悩んでいた」と佐々木さん。「でも接触が減った分、新しいやり方もできると知った。今まで以上に思いやり、気遣うことがいかに大切か気づいた」という。

 この苦しい状況を乗り越えた時に、介護の質を高められたらと願う。(斎藤博美)