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 営業自粛要請、ステイホーム――。不自由な暮らしの中で不安を抱えて迎える今年の憲法記念日。こんなときこそ日本国憲法について考えてみませんか。憲法に詳しい石口俊一弁護士に解説してもらいました。(宮崎園子

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 ――緊急事態宣言下の憲法記念日です。

 今年で27回目の憲法ミュージカルも、憲法集会もできなくなりました。こんな中でこそ、憲法自体がどんな状況にあるか考えたい。

 ――今、憲法をどう見るか。

 大きく分けると二つ。一つは、憲法が試されているということ。いろんな権利が制限される。どこまでなら受け入れられ、何が受け入れられないか。それを考える指標としての憲法。

 もう一つは、憲法をいかすということ。憲法は健康や暮らしなど国民のさまざまな権利を保障している。政府に「ちゃんと補償してくれ」というとき、憲法は私たちの力になる。

 ――憲法をいかすかどうか、私たちが試されていると。

 大変な時こそ人の真価が試されるというけれど、まさにこんな事態だからこそ憲法の真価も、憲法が自分たちのものだと私たちが考えられるかどうかも、試されている。そもそも憲法は国家権力をしばるものであり、私たち国民を何かにはめ込む法律ではない。

 ――緊急事態の名の下、何でも受け入れないといけないような空気がある。

 国家権力が私たちの権利を制約する法律を作ろうとしたとき、それが許される場合がある。その場合、その法律には憲法で保障したことを最大限保障する内容や、合理性・相当性が必要です。

 わかりやすいのは医療現場のインフォームド・コンセントです。医師が手術のリスクをわかる言葉で説明し、患者本人がプラスマイナスを納得し、手術を受けるか受けないかを自分で決める。医療現場だけでなく、どの現場でも本来は一緒です。

 「やめなさい」と言ったとき、なぜ、いつまで、どの程度なのか。根拠は何か。納得のいくだけの情報が提供されているか。どの場面でもそうやって考えなさいよ、というのが憲法が保障している権利の理念です。

 ――感染拡大防止こそ公共の福祉と言えないか。

 公共の福祉というのは、それ自体が目的ではない。権利の調整の際に使う概念です。

 権利と権利がぶつかるじゃないですか。この権利を主張したら、他の人の権利とぶつかる。それを調整するためのものです。公共の福祉のためにこうしろああしろと、それが先にあるものじゃない。

 公共の福祉も、誰の何を守るのかという具体的な説明が要る。それとの調整で権利が制限されることは、バランスがとれるでしょうという説得がいる。

 ――自粛と補償はセットだと多くの人が訴えている。

 憲法29条3項は、国民の財産権についての条文です。土地収用で、道路をつくるために土地をよこせ、と行政が言う。応じなくても無理やり取り上げられるけど、それは法律の手順にのっとってやる公共性があり、適切な補償があるから。

 感染防止のために営業をやめてと言うなら、その見返りとして補償が要るというのが、憲法の基本的な考え方です。

 「自粛の要請」と称して、国民の側が任意でやる形にして、国が強権的にやめさせたわけじゃないから補償はなしと。それが最大のずれ。ずるいんです。

 ――憲法13条は、個人の尊厳を規定している。

 本来左を向いても前を向いてもいい。「右を向け」なら、なぜか。いつまでか。そこがないまま「右向け右」。インフォームド・コンセントが必要です。

 自己決定権の尊重は、医療現場では周知されているのに、ほかの場面ですぽんと抜けている。納得いく手順や、自分の中で「よし、1週間は家にいよう」とか自己決定できる材料がないまま、「しろ、しろ」と言われている。

 ――非常時だから権利制限は仕方ない、国に従え、と言う人は国民の側にもいる。

 戦時下の「欲しがりません勝つまでは」みたいな、国が号令したら従うという怖さを感じます。皆「右へならえ」というか。受け入れるかどうかは、人それぞれの自己判断の問題です。憲法が保障する自分の権利が何か、立ち返って考えたい。

 今の状態に納得できますか。今、強いられている不自由や権利の制限が永続的に続くのは困りますよね。

 今なら「制限をずっと続けるのは憲法違反じゃないか」と争える。コロナの規制にしても何にしてもある程度限定的に、イラクの特措法みたいに、何人が何を持って何年間どこにいく、という限定がある。憲法違反かどうかも争える。

 でも憲法に緊急事態条項を入れると、ある意味野放図になる。憲法違反として争えない世界にその問題が行ってしまう。だから多くの憲法学者はそれはダメだと言っている。

 個人の権利は制約されても仕方がない、けしからん振る舞いをする人がいるから憲法を改正する、というのは、絶対自分にブーメランで戻ってくる。従わない誰かだけでなく自分に跳ね返ってくる問題です。

 ――休校で子どもたちの教育を受ける権利が奪われるという意見もある。

 教育を受ける権利は、日本が1994年に批准した子どもの権利条約と憲法26条の両方で考えたい。子どもがどんなふうに社会の一員として成長する権利があるのか、それを実現させるための大人の責任は何かが書かれている条約です。

 子どもも含めて個人の尊厳はあるが、憲法13条は「個人の尊厳」とあるだけ。実は個人には、いろんな成長過程や置かれた状況がある。子どもの権利条約だったり、障害者の権利条約だったり、そういう条約を批准することで、日本国憲法が保障する権利は、中身を豊かにしてきた。

 憲法は完全じゃない。基本的な原則はあるけれど。この75年間、国連の中や世界的な議論のレベルでいろんな権利の具体化が進んできているわけですよ。

 ――休校も「補償」なしにとりあえず休ませとけという感じはぬぐえない。

 それもやはり親と教育委員会のインフォームド・コンセント。学校に行くのは重要だけど、今、学校に行くのは子どもにとってもリスクがある。そういう問題について納得がいく説明や議論がないまま、勝手に「はい、休校」と言われているからモヤモヤが残る。

 ――制限を求める国家権力の説得力も求められる。

 弁護士の立場から言うと、安全保障法制について閣議決定と称して解釈改憲をし、憲法を守らない姿を見せてきた政権に、「非常事態ですから」と言う資格があるか。特定秘密保護法もそうだが、日本の政治の根本にかかわることについて勝手に解釈を変えておいて信用できるか。憲法にのっとった裏打ちのある政治姿勢でないと説得力はない。

日本国憲法から抜粋

13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

29条 財産権は、これを侵してはならない。

同条3項 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

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 いしぐち・しゅんいち 1952年岡山県生まれ。京都大法学部卒。79年から弁護士。毎年5月3日に広島で開く憲法集会実行委員長や、広島県九条の会ネットワーク事務局長などを務める。広島弁護士会平和・憲法問題対策員会委員。