[PR]

 この国で、「家族」は最後にして最大の防波堤として期待されています。日本の場合、農業国としての特徴が強く、戦後間もないころまで就業者の半数は農林漁業従事者で、いわば農村の村落共同体が「親族共同体=家族」を形成していました。そのような中で、背景にはいわゆる「ミウチの恥はヨソには見せない」という規範意識が残存したまま、高度成長期に急速に工業化を遂げ、人口が都市部に流入し、核家族化していった経緯があります。

 このため、かつては大家族を前提に成り立っていた役割、とりわけケア労働は主として主婦である女性1人が担うようになっていきました。また、高度成長期に男性は外で働いてお金をもらう有償労働に就き、女性は家で家事育児介護などの無償労働に従事するという性別分業が浸透したのですが、その後の社会変化により外で働く女性が増えたにもかかわらず、家庭内の無償労働負担は女性に偏ったまま残されました。

 「家庭」の位置づけも、男女で大きく異なっています。多くの男性にとって家庭は安らぎ・癒やしの場ですが、多くの女性にとってはケア労働の場です。この落差は、平素家族の成員それぞれが職場や学校などに出かけているときには露呈せずに済んでいたとしても、今回のような事態で全員が常にいると何かしら問題が生じて当然です。

 そもそも、普段それぞれが家族の外部にも異なる生活圏や生活リズムを持っている人同士がともに24時間過ごせば、細かな衝突は生じると考えたほうがいいでしょう。ただでさえ、感染症の流行という大変な状況で、不安や恐怖の意識が高まっているのですから、家族など身近な人に余裕を持って接することのできない人も増えていると思われます。

 危惧するのは、このような「外部の目」が入りにくい状況では、もともと問題を抱えた家族の中で、より弱い立場の人が虐待などの被害を受けやすい点です。実際、DVや児童虐待の被害が深刻化したり、家族だけで食事を採らねばならない状況で、ネグレクトが進行する恐れも高まります。

 さらに、もとから家族のみにケア労働が偏重したこの国では、家族の中に新型コロナウイルス感染者が出た場合の看護責任もまた重くのしかかります。例えば育児や介護中の世帯の主たるケアの担い手が全員(たとえば夫婦そろって)感染し入院せねばならなくなったら、子どもや要介護の高齢者のケアは誰が担うのか、ましてやひとり親世帯はどうすればいいのか……。問題は山積です。この国の、「ケアの家族依存」が深刻なかたちで露呈しているともいえます。

 今回のウイルス禍で明らかになったのは、現行政府の「思想なき経済主義」でしょう。アベノミクスは「観光立国」を掲げ、インバウンド消費拡大をうたっています。さらには今年開催予定であった東京五輪を穏便に開催したいという意図もあってか、結果的に中国の旧正月である春節の旅行客を大勢受け入れたなど、初動の遅れが指摘できます。もし今後も日本が真剣に「観光立国」を目指すのであれば、インバウンド拡大には今回のようなウイルス拡散も含めた「リスク」を伴う点を真剣に考えるべきでしょう。これはかねてより問題視されてきた「オーバーツーリズム(過剰な観光客により、観光地に多大な負荷がかかった状況)」への対応不足の延長線上にあるともいえます。たとえ今回のウイルス禍がひとまず収まりを見せたとしても、世界はリスクに対して敏感になっているはずです。危機への迅速な対応が可能な国であることをアピールできなければ、来年に延期された東京五輪開催も危ぶまれますが、現状での政府のやり方は「正反対」です。現在も、公共交通機関は止めず、テレワークを「推奨」するだけで多くの人が通勤することを黙認し、「何が何でも経済を止めない」ことを第一義に考える政府の姿勢が浮き彫りになっています。私は東京郊外に住んでいますが、平日昼間も公園は家族連れであふれ、開いている飲食店も行列が出来ているのを見て、「自粛」の難しさを実感しています。現在決まった「1人10万円の支給」も、もめにもめた政府ですが、果たして国民生活をどのように考えているのか。国民の安全よりも、とにかく働かせるだけ働かせて税金を徴収することしか考えず、ケアワークは家族とりわけ女性頼み、批判が上がってようやくしぶしぶ補償に動く、自粛を「要請」しても補償はできるだけ与えたくない……というのは、あまりにもお粗末な姿勢です。持続可能な社会のためには、まずは国民の生命・健康を第一義的に考え、一時は経済を止めることもやむなしとなるべきですが、残念ながら今のところほど遠いようです。(寄稿)

     ◇

 みなした・きりう 国学院大学教授。社会学者、詩人。

関連ニュース