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 岡本行夫さんは生涯、日本外交の限界に挑戦し続けた人だった。

 外務省では「湘南ボーイ」と呼ばれた。エジプト勤務時代は紅海でダイビングを楽しみ、本省でも週末ごとに神奈川の実家に後輩たちを招いて、食事を振る舞った。そこで結婚相手を見つけた人もいた。大勢の後輩から慕われていた。

 仕事は硬骨漢で、「青年将校」とも呼ばれた。真骨頂は1990年の湾岸戦争だった。北米1課長として、永田町・霞が関を飛び回り、混迷する日本政府の牽引(けんいん)役を担った。米軍艦船の寄港を嫌がる港湾関係者、中東への輸送を渋る航空会社と直談判に及んだこともある。

 同時に「専守防衛」「日米安保条約」など、様々な戦後秩序に基づく日本外交に限界も感じた。91年に外務省を退官し、当時の日本でシンクタンクのはしりとも言える「岡本アソシエイツ」を設立した。

 日本外交の限界に挑戦したため…

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