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 豊臣秀吉が死去する前年、天皇の御所のすぐそばに築いた最後の城が、約400年ぶりに姿を現した。史料が少なく、発掘調査でも未確認だったため、実態不明な「幻の城」とされてきた。最晩年の秀吉は、この城に何を託そうとしたのだろうか。

 「天下人にふさわしく、ものすごく丁寧に石垣が造られている。御所のそばという場所を意識し、美しく、観賞しうる石を選び抜いたのだろう」

 北垣聡一郎・石川県金沢城調査研究所名誉所長(土木技術史)は話す。

 京都新城は1597年、御所の南東にほぼ隣接して築かれた。東西約400メートル、南北約800メートル。現在の京都御所の約3倍の広さを持つ巨大な城で、当時は「太閤御屋敷」「太閤御所」とも呼ばれたという。

 秀吉はその10年前、御所の西約1キロ、かつて平安京大内裏があったとされる場所に、関白として政務をとるための聚楽第(じゅらくだい)を築城している。その後、おいの秀次に関白の座とともに譲り、太閤(前の関白)として郊外の伏見城へと移ったが、秀頼が誕生したため、秀次は自害に追い込まれ、聚楽第は徹底的に破壊された。

なぜ、幻の城になってしまったのか。本郷和人・東大教授は「歴史の必然だったのかもしれません」と話します。

 「聚楽第を壊しても、秀吉にと…

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